
ことしの劇場鑑賞はここまで8本。
9本目は「リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界」@TOHOシネマ西宮。
若い頃より頭が悪くなってきたので、うまくレビューする自信がない。
きょうはなんだかリンク多めの日録になりそう。
まず、この映画を観ようと思ったのはこのブログを読んでのことだった。
kdc.hatenablog.com野村雅夫さんが書いている。
まずはケイト・ウィンスレットに深く敬意を表します。
映画を観て、感じたことはまさにこの冒頭の一文だった。
理由はレビューを読んでもらえば分かる。
丸投げ? いいんです。
リー・ミラーというヴォーグ誌のモデルであり、報道写真家だった人の伝記映画。
伝記映画ですが、波乱の生涯のうち、第二次世界大戦前後の10年ほどを描いている。
大戦中の報道写真家としてはロバート・キャパらが有名だが、この人は長くその名前を知られることはなかった。
この女性が残したものを世に知らせたい、との情熱で自腹覚悟で映画化したのがケイト・ウィンスレットだった。

英国版『VOGUE』誌の記者として第二次世界大戦中のヨーロッパを取材した、アメリカの先駆的な従軍記者兼写真家。彼女は歳を重ねるごとに、自分のことをモデルや男性アーティストたちのミューズとして覚えてほしくないと思った。彼女は当時の女性に対する期待やルールに逆らい、戦争の最前線から事実を報じるため、ヨーロッパへ渡る。そこでリーは、自身の秘めてきたトラウマを映し出すかのように、ナチス政権の残虐な行いを世に伝えるべく、ローライフレックスカメラで写真を撮った。彼女は、ダッハウ強制収容所を始め、ヨーロッパ各地で衝撃的で恐ろしい光景をフィルムに収めた。戦争とその犠牲者や影響を捉えた彼女の写真は、第二次世界大戦において最も意義深く、歴史的にも重要なものとして残り続けている。彼女はその後の戦争写真のあり方を永遠に変えた一方、凄惨なものを見たこと、そしてその物語を伝えることに多大な労力を費やしたことにより、精神的に大きな犠牲を払うことになる。 (公式ホームページより)
映画を観ながら、見終わって浮かぶ感想をメモでランダムに記す。
他に枝葉末節、本筋とは関係なく浮かんだことを続ける。
改めて、伝えること、の大切さを知る。
伝えないと無かったこと、そこに誰もいなかったことになる。
同時に、伝わってしまうこと、の危うさも思う。
形にして、写真に焼いて、残すことの大切さを思う。
残さないと、なかったことにされてしまう。
記録しても、今は「あれはフェイクだ」と言いがかりをつけて、
都合のいいよう歴史を修正してしまう輩もいるけれど。💢
ブルース・スプリングスティーンが怒りをこめてステージで叫んだ言葉を思い出す。
「いま、起こっていることなんだ。いまこのときに起こっているんだ。」
第二次世界大戦でヨーロッパで起こったことを、テレビもなく、ネットもない当時の世界は知らなかった。
最前線で記録して伝えることが唯一の手段だった。
10年後、20年後、50年後に知ることは出来るが、いま起こっていることを知るのとは全く意味が違う。
パリ解放後、リー・ミラーはライフの記者ともに連合軍に従軍してドイツ国内に入る。
そこで目撃したものは青酸カリを飲んで自決した家族だった。
ドイツは加害者として描かれるだけで、犠牲者としてはほとんど描かれない。
沖縄の集団自決も、日本国内で伝えられることはあるが、中国、韓国では、おそらく知られないだろう。
大学生のとき、一ヶ月ほどドイツを旅した。
1981年、思えばドイツ敗戦から26年しか経っていなかった。
26年前、それ以前にドイツ国内で起こったことを想像もしなかった。
本筋と関係ないことを3つ。
リー・ミラーは戦前のパリでシュールレアリストの芸術家たちと親交があった。
その中にポール・エリュアールがいた。
映画の中で「自由」という恋人に贈った詩が、リー・ミラーに読まれるシーンがある。
金色の挿絵の上に
兵士たちの武器の上に
王様たちの王冠の上に
ぼくは書く 君の名前を(ポール・エリュアール「自由」より)
この「自由」で繰り返し、君の名を書く とある。
これってどこかで聞いたことがあるぞ。
そう、札幌オリンピックの「虹と雪のバラード」の歌詞だ。
生まれ変わるサッポロの地に
君の名を書く オリンピックと
(「虹と雪のバラード」より)
作詞者は大学の教授だったはず。
ポール・エリュアールへのオマージュだったのだろうか。
野村雅夫氏もリー・ミラーの使っていたカメラに触れている。
実は幼い頃の我が家にもこれと同じ型のカメラがあって、
まだ自分のカメラが買えなかった中学生のころ、自分のものにして使っていた。
1970年の万博に行ったときの写真はこのカメラで撮ったものだ。
リコーフレックス、僕は勝手に「ニ眼レフ」と呼んでいたが、あながち間違いではなかったみたいだ。

リー・ミラーはとる前に、上からファインダーを観て画角を決める。
そして、シャッターを切るときには被写体をまっすぐに観てシャッターを押す。
シャッター音は静かだ。
もし、手元にリコーフレックスがあったら、僕も同じように撮ってみたい。
あれは大判のフィルムだった。
おかあさん、あのカメラ、どこへいったんでしょうね。
カメラライブラリ / フィルムカメラ / 製品 | RICOH IMAGING
西条八十「あの麦わら帽子」へのオマージュです。(笑)

リー・ミラーに関しては膨大なアーカイブがある。
亡くなったあと、自宅で発見された写真らしい。
こんな凄い写真を残した人が、ほとんど知られていなかったのも驚く。

深く重い映画を観たあと、ガーデンズのブックファーストで燃え殻のエッセイを買う。
この人の書く読み物はなんだか中毒性があるのだ。
南木佳士の小説やエッセイと同じように、こちらも処方の違う精神安定剤なのかも。
より今の時代に寄り添う、ある意味 俗なレベルでしみる。
そのしみる確率が高いのだ。
ほぼ100パー、ハズレがない。
夜はグンゼへ行き、ラジオ体操&ストレッチ&風呂。
リー・ミラーの影響で「映像の世紀 バタフライエフェクト」を3本観る。
日本とドイツ、ふたつの敗戦国の記録とプーチンとゼレンスキーの物語。
どれも秀逸、NHKの映像収集力と構成は素晴らしい。
映画のあと、どこかで飲もうかと迷って、本が読みたいのでファミレスを検索した。
ジョリーパスタはアルコールメニューが見当たらなかったので「バーミアン」にする。




結果、失敗だった。
マズくて食べられないわけではなかったが、何より青椒肉絲の脂っこさには閉口した。
それでも完食したけど。
食後の胸焼け、いや胃腸の重さがハンパなかった。
なんだか変な夕食だった。
どこか異国のへんぴなエリアに僕はいて、食べる店がどこにもなくて、唯一開いていたのが「バーミアン」だった。
…みたいな感覚になる。
