
朝、イソヒヨドリの声も姿も見ない。
遠くで雀たちがちゅんちゅん鳴いているだけ。
あの番(つがい)はどこかへ行ってしまったのだろうか。
ちょっとした喪失感。
つい2日前まで昼に夜に ぴ ぴ ぴ と鳴き続けていたのに。
モーニングコールのない朝がさみしい。
今日は終日在宅で仕事(仮ナレーションとテロップ原稿)とたまっていた日録を埋めていく。
夕食はリクエストしたチキンライス。
ときどきケチャップライスが無性に食べたくなるのだ。
ジム終わりの編成M に芦屋「みずかみ」に誘われるがすでにリクエスト後だった。

マサオがグループラインにウイスキーのボトルの写真をアップした。
外に連れ出してもらったのでボウモアを一本買ったらしい。
「酒は強いのでどれだけでも飲める」とコメントがある。
セルジオが「その施設は禁酒ではないのか」と問い、「禁酒ではない」と返す。
「ただ前にいた施設が禁酒だったので自粛しているに過ぎない」と。
「自主規制出来るのはいいことだ」とセルジオ。
見ていて腹が立った。
カッとなって「そもそも飲酒をコントロール出来ないから今があるのではないか」と投稿した。
セルジオが「依存症にはならんようにね」
身体をこわし、半身麻痺になって、残りの人生も見えてきた。
だからもう好きなだけ飲んだらいいと思う。
ただ、これまでの経緯を知ってるからマサオの態度を受け入れられないのだ。
お酒いいじゃん、とはならない。
許しがたい、とさえ思う。
マサオの飲酒姿勢がこれまでと変わってなかったら、いずれ今の施設からの放り出されるのは必至。
是か非かでなく 好き嫌い の問題。
自分が作ったラインのグループ、いずれ閉鎖しようと思っていたが先にグループを退出した。
夜、同じグループに入っていた石垣島のミネーロよりFacebookのメッセンジャーにコメントが入る。
「オレも退出したよ。痛々しくて見てられなかった」と。
そのあとに店の経営の話や昼間の仕事探しの話なども付け加えてあった。
みんな高齢者、みんな生きるのに四苦八苦している。
八重山で一人暮らしも楽じゃないみたい。
こういうときに思い出すのはスコット・フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー」の書き出し。
特権階級の主人公とは身分も境遇も才能も全く違うが…教えとして心にとどめておきたい。
ぼくがまだ年若く、いまよりもっと傷つきやすい心を持っていた時分に、父がある忠告を与えてくれたけれど、爾来ぼくは、その忠告を、心の中でくりかえし反芻してきた。
僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
同じ箇所を村上春樹訳だと…
「ひとを批判したいような気持が起きた場合にはだな」と、父は言うのである「この世の中の人がみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」
形而下的に、平たく例えれば…
好きなインディアンカレーを830円くらいは払えて、いつでも好きなだけ食べられる。
でも、そうじゃない人もいるよ、ということ。
自分がその立場になったら、を覚悟する。
いずれ消えてゆく。
どんな終わりを迎えるのか、晩年はどんな暮らしになるのか、
想像してみるが、決して想像通りにはならないことだけは確かだ。