「物事に過剰に意味を見出そう」というのは何にでも誰もが納得するようなオチを付けたがるということです。
怪談でいえば「由来はよく分からないけど単に幽霊が出ました」なんて話より「ああ、だから出るのね!」みたいな分かりやすい因縁話がくっ付いてたほうが誰もが納得します。
まぁ、そういうのは別に怪談とは限りませんがね…
眼に見えない世界の事柄なんてのは人間ごときがいつでも簡単にオチを付けられるほど分かりやすくは出来てません。
むしろ掴み所の無いような感じだったりすることの方が当たり前な気がします。
一部の方々は「たとえ今分からなくても、この先オカルティックな叡智を手に入れさえすれば、『物事の本質』を手にとるように認識できるようになるはずだ!」と本気で信じているようです。
しかし、それはオカルトに限らず全事象において『見果てぬ夢』だと思います。
人間が把握できる『物事の本質』なんて、この世界の全体からすれば1ミクロンほどのささやかな範囲にすぎないからです。
人間の『分かること』は、いつまで経ってもどこまで行っても『その程度』ってことです。
なぜなら、『物事の本質』のスケールが、人類という種の認識能力に対して桁違いに巨大すぎるからです。
それは、虫眼鏡一つを使って、地球という星丸ごとを観察しようとするようなものです。
まさに「群盲象を撫でる」が如き状態です。
多くの盲人が象の一部だけを触って、その部分の印象から象全体を判断し、全体像を見誤るというインドの寓話
それでも、「人間は世界というモノを最終的には認識できる」と何となく信じている人が世の中には少なくないようにお見受けします。
それは、「人間が自然そのものを支配できる」と本気で考えているのと同じ文脈なんだろうなと思います。
生病老死もまた、それらと同じ文脈で「人間がこの先自在に操れるようになる」と結構マジで信じている人が社会の中枢にいらっしゃるように感じます。
コロナ禍以来特にそのことが社会的にむき出しになってきている気がするのです。
世界に新しい『バベルの塔』を建てたいのでしょうかねぇ…
分からないことを無理に分かったつもりになると物事のバランスは崩れます。
個人的には、「人間には『分かること』と『分からないこと』があるんだ」って認識を基盤に持っていないとその人の心のバランスは崩れるってことです。
だから、物事に過剰に意味を見出そうとすると必ずバランスは崩れます。
心が硬直化して、偏りが酷くなるからです。
昨今の世界の情勢を見ていますと、社会的にも、個人的にも、そして波動的にもバランスはどんどん崩れてきています。
「知ったかぶりは身を滅ぼす」ってこともあるかもしれません。
今後は、そうならないようによくよく気をつけた方がいいでしょう!
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