誰しも自分の思考を通して「正しい!」を認識するからです。
すなわち純粋に客観的な「正しい!」なんて何処にも存在し得ないのです。
少なくとも人間の世界においてはね…
人間は誰しも『自分』というフィルターを通さなければ「正しい!」を判断出来ません。
そして、その『自分』っていうモノは条件次第でコロコロ移り変わります。
人間の「正しい!」ってのは秋の日の夕陽のように儚いモノなのです。
そんな儚いモノを絶対的だと勘違いしてしまえば、人の心は迷妄の闇に沈みます。
そして、時にその迷妄を『善』と名付けたりもするのです。
そもそも善悪という概念は人間が勝手に作った『創造物』です。
善悪は人間によって用意された『物事を計るための物差し』の一つに過ぎません。
要はどこまで行っても相対的で儚いモノだってことです。
人間は元々主観的な存在です。
主観というものは常に揺らぎながらその人の中に存在しています。
一人一人が見ている『世界』というモノは、それぞれの主観という揺らぎの中にだけ存在しているということです。
善だの悪だのといったところで、普遍不動のモノとして、どこか人間とは関係ない場所に、独立して存在しているわけではありません。
一言でいえば「善悪に個人の思考を超越する絶対性は与えられていない」ってことです。
善悪は己れの心の揺らぎの中にだけ存在しています。
ただ、その「善悪は己れの心の揺らぎの中にだけ存在する」ってのを十分理解出来ていないと、絶対的な正義みたいなモノを本気で信じるようになったりするのです。
そして、絶対的な正義を得るために真理の探究みたいなことを始めたりもします。
真理の探究ってのは事の性格上必然的に『心の固定化』に突き進んでいきます。
ここでいう『心の固定化』とは『試行錯誤の放棄』のことです。
なので、多くの人が『心の固定化』によって真理に近付けたと勘違いするのです。
固定化することで、心の揺らぎを感じにくくなるので、より万能感を得られやすいからです。
実際には固定化すると心は安定するけど、その分マヤカシに呑み込まれやすくなります。
ていうかマヤカシか安定の素となるのです。
それは、ジャンキーがクスリをやってラリっている時に感じる『多幸感』に酷似しています。
目の前にある事実と己れの心が股裂状態に離れていく『はじめの一歩』です。
そうならないためには心を固定させず、出来るだけ心の揺らぎに『自分』を添わせることが肝要です。
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