『出会い』と『選択』があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。
それを人は運といいます。
つまり、運とは人・モノ・場所との『出会い』とその際における『選択』から生まれるってことです。
そうやって生まれた個人の『運』は、巨大なジグソーパズルのピースのようにもっと大きな『運命』の数々へと繋がっているのです。
運命のパズルは一人の人間だけで完結するものではないってことです。
個人の一生というジグソーパズルは、もっとずっと巨大な『世界』というパズルのワンピースとして存在しています。
もっと言えば、古今東西世界で起こった出来事の数々も途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として時空を超えて存在しているってことです。
『一人の人間の運命』もまたその巨大なジグソーパズルの中に存在しています。
ということは当然ながら一人の人間の範疇に『運命』というモノすべてが収まるなんてことはありません。
他の人や出来事との関わりがあるからこそ運というのは巡っていくのです。
他との関わりが生じないところに、運命は生まれません。
世の中には、一人の運(主に幸運)には定まった量があって、その量を使い切ってしまうと打ち止めになるという考え方があります。
運っていうのは一人の人生の中で浪費するとあっという間になくなってしまう程度の量しかないっていうことのようです。
「こんなところで運の無駄使いをした」とか「一生分の運を使い果たした思いだ」なんてセリフをどこかで聞いたことがある人も多いんじゃないでしょうか?
ただ、最初に申し上げたように運とは出会いと選択によって生まれます。
言い方を変えるなら、「一人の人間の運の在り方も、その人が生きていく過程(出会いと選択)次第でドンドン変わっていく」ということです。
他との関わり方次第で運の量もカタチも変わっていくでしょう。
運命は常に他を巻き込んで連鎖していきます。
それを昔の人の言葉でいうと「吉凶禍福動より生ず」ということです。
もし万が一、一人の人間の運に定量があるならば、 凶がない代わりに吉もなく、禍もない代わりに福もないことになります。
つまり、「最初から運そのものがない」ってことになるのです。
金は天下の回り物って言葉がありますが、『運は世界の周りモノ』です。
それをむかしの人は『袖すり会うも他生の縁』と言ったのです。
(「他生」は、この世に生を受ける以前にいた世をさす) 見も知らぬ人と道で袖が触れ合うような、ちょっとしたことも、すべて仏教でいう深い因縁によるものであること
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