ただ、研究所で実験用ラットを扱うようなモノの見方をしても、本来的な健やかさには行きつかない気がするのです。
所謂『不健康』な要素を機械的に削り取って、医学的に言われる健康になるための要素だけを選別して残そうとしても無理があるとしか思えません。
生と死が切り離せないように健康と不健康もまた切り離すことは無理なのです。
陰陽説では「陽極まれば陰になる」と申します。
これを健康に当てはめて私流に言い換えれば「健康ガー!健康ガー!と年がら年中やってればそのうち振り切れてとんでもなく不健康になる」ってことです。
それじゃあ、まるで健康のガラパゴス化です。
何故そうなるかといえば「純度100%の健康を目指す」からです。
「病気を唾棄し、不健康を撲滅しようと試みる… 」でも、純度100%の健康を目指せば目指すほど純度100%の不健康にどんどん近付くことになります。
まさに「陽極まれば陰になる」です。
必要以上に傷や病気を恐れ、極端な潔癖症に陥れば、やがては「徹底殺菌された空間で生活し、外出時は何本もワクチンを打つ」みたいな生活を望むようになるでしょう。
純度100%の健康を目指せば、遅かれ早かれそういう状態を望むようになるんじゃないかと推察します。
コロナ禍では生と死と健康について様々なことを考えさせられました。
ここ数年間歪んだ健康志向の弊害も如実に現れたとも感じます。
なので、改めて問いたいと思います。
仮に伝染病が怖いからという理由で一生誰にも会わす誰にも触れず生きていくことが可能だったとしましょう。
そういう生活で得られるモノが果たして本当に『健康』なんでしょうかねぇ?
個人的には、そういう生活で得られるモノが仮に本当の『健康』だったとしても、その健康と引き換えに失うモノの方が得るモノより遥かに大きいんじゃないかと感じます。
「現代医学でいうところの健康を哲学的な意味での幸せの圧倒的上位に置くべきかどうか?」と問いたいのです。
でも、世の中には『健康』に突き抜ければ突き抜けるほどいいこと尽くめだと考える人が大多数のような気がします。
それで、下手したら不健康に振り切れるまで突き進んでしまう人も稀れではないでしょう。
個人的には健康7の不健康3くらいがちょうどバランスが良いと感じます。
場合によっては健康6の不健康4でも全然構わないと思っています。
要は健康と不健康のバランスが大切なのです。
バランスを欠いたモノは如何なるものであっても遅かれ早かれ劣化します。
心であれ、身体であれ、魂であれね。 『時には不健康を受け入れながら健康に寄り添っていくこと』が大切であろうと愚考いたします。
生きてる者はやがて必ず死ぬのですから。
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