ただ、「無条件に良いこととも言えない」と思います。
俯瞰的に眼で見れば見るほど「そもそも無駄って何?」っていう出発点からして曖昧模糊としたモノにならざるを得ませんからねぇ。
無駄だと思ってたモノが無駄ではなくなったり、有効だと思ってたモノが時代遅れの過去の遺産になったりってことはよくあることです。
人間万事塞翁が馬って故事があります。
幸は不幸となり、不幸はまた幸となり変転止まるところを知らないって諺です。
最終的に「何が無駄で、何が無駄じゃないか」が、最初から分かっている人などどこにもいないのです。
効率主義は短期的に見れば合理的なんでしょうが、『今の効率主義』がいつ非効率に転ずるかなんて誰にも分かりません。
変わりゆく『時と場合』に対して、ちっぽけな人間という種族が全て対応し切るなんてことは端から不可能だからです。
例えば自動車のブレーキにある遊びを無闇に少なくすれば事故のリスクは高まるでしょう。
そんなバカなことをする人間はいないだろうと思われるかも知れませんが、もしブレーキにある遊びを有効かつ必要なものだと十分認識していなければ、無駄なものとして『効率よく』削減される可能性は高いです。
まぁ、ブレーキの件は例えですが、無駄を削ったつもりが返って必要なモノまで捨て去っているなんてことは世の中たくさんあります。
これを『角を矯めて牛を殺す』と申します。
それで、スムーズに事が運ばなくなって「何故だ?! どうしてだ?!」と疑問だらけになるわけです。
目先の効率だけ追いかけていれば、終わってみれば返って無駄の山になるってことも少なくはないでしょう。
ハッキリ申し上げて「何でもかんでも直ぐに答えを出そうとしない方がいい」と思います。
そして、今まで存在してきたモノを「無駄だから」とむやみにぶっ壊さないことです。
壊れたモノは二度と元には戻りませんから。
それを『覆水盆に返らず』と申します。
自己啓発系のビジネス本などで、「ムダを省くことを習慣にしていけ!」なんて意味のことが書かれてあることがあります。
ごくごく狭い自分の仕事の範囲内なら、それも可能なのかもしれません。
ただ、例えば人生一個分のスケールにおいて「ムダが何なのか?」を的確に判別できる人が生身の人間で存在するとは到底思えないのです。
論より証拠、遥か古代より人間の歴史は同じような失敗の連続で、全然『ムダ』を省けているようには見えません。
改めて結論を申し上げれば、「無駄を省くという方法は、ごく限られた時間と空間と条件の中でしか有効性はない」ということです。
逆にいえば「無駄を省くという行為には大した汎用性はない」と言えるでしょう。
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