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善悪に囚われるとその分争いが生まれる

人間にとっての『善悪』というのは、確かにあります。

ただ、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」っていう範囲のお話です。
だから、善だの悪だのといったところで、人間とは無関係に独立して世界のどこかに存在しているわけではありません。


善悪は普遍の真理などではないってことです。
十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』に過ぎません。

要はどこまで行っても相対的で不完全なツールの一つだってことです。

じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのでしょうか?
簡単にいえば「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だったと思います。
社会生活を円滑に過ごす上での道徳律として善悪の判断は必要であったということです。

しかしながら、人間の社会というモノは有為転変止まるところを知らず、あっという間に変わりゆくモノです。
ということは当然その変化に合わせて道徳律ってヤツもドンドン変わっていきます。

人間社会の道徳律が変わるってことはそれに連れて善悪の在り方も変わるってことです。
本質的に善悪は常に変わりゆくモノであるってことなのです。


例えば大戦中は鬼畜と呼ばれたアメリカ(悪)のイメージは、日本が敗れた途端キラキラ輝く自由の国(善)へと変わりました。
日本の社会の在り方が変わったので、善と悪の社会的イメージが入れ替わったのです。

善と悪とはコインの表と裏のようなモノです。

だから、誰かにとっての善は、誰かにとっての悪であり、誰かにとってよ悪は誰かにとっての善です。

 

人間の大きな争いというモノは、大抵『善と善との衝突』です。

『勝てば官軍』という言葉は、人間社会においては勝った方が善となり、負けた方が悪になるという意味です。

 

「善と善との衝突」っていうのを私の言葉でいえば正しいの比べっこってことになるでしょう。
『勝てば官軍』というのは「正しいの比べっこがいつもチカラ尽くで行われる」ということと対応しています。

目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 
みんな自分が正しいと思っているからです。 

もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 
万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。

だから、正しいの比べっこは結局チカラ尽くになるのです。

ただ、まだ少なからぬ人々が純粋な悪がいささかでも存在すると信じているようです。
純粋な悪を信じるということは、すなわちその純粋な悪と対極にある純粋な善を信じているということです。
残念ながら、それはまた新たな争いをこの世に必ずもたらすでしょう…

関連記事 善と悪はコインの裏表である - 『クリアー整体ヒーリング』です

 
 
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