土曜日の日中に社外のセミナーに参加してみた。
ここ半年くらい週に2時間くらいのペースで機械学習の勉強をしていて、
そろそろちゃんと人に教わってみたいなと思い、外部のセミナーに参戦したのである。
そんなノリで、「多少は勉強してきたのである程度は通用するかな」と甘い見通しで参加したのだが、行った先で待っていたのは絶望だった。
チームを作って
「Kaggleというサイトを使い、機械学習の予測の精度を競う」
というグループワークが始まったのだが、これには参った。
全然貢献できないのだ。
自分は社会人になって久しいジジイなのに、情報系の大学院生の方が128倍くらい優秀で、己の無力さを心の底から恥じた。
俺は一体何をやっているんだ...と心から情けなくなった。
慣れた環境に浸った会社生活では久しく経験していない挫折だった。
挫折していないということは、チャレンジしていないことと同義だったのかもしれない。
グループワークでは全然貢献できず情けない想いをしたが、学びも多かった。
本を読むだけではわからなかった「経験者の考え方」みたいなものを横で観察して、自分が何をすべきなのかも少しは見えた気がする。
何より自分の不甲斐なさを身をもって感じることで、危機感が生まれた。
この危機感は、家で本を読んで勉強しているだけでは決して感じることはできないものだった。
実際に目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、
「俺、このままじゃ全然ダメじゃん」
と絶望することで初めて、具体的な危機感を持つことができる。
人は自分が楽しいことをやるときに動機づけは必要ないが、
それほど楽しくないことを鍛錬のために行うには適切な動機づけが必要だ。
その動機付けに加えて危機感がないと、いつまでもダラダラして結局何も身に付かない。
英語を勉強してもいつまで経っても話せないのは、話せなくても死なないからだろう。
何かを身に付けるには、危機感を持って継続的に努力する必要がある。
慣れた環境でぬるま湯に浸かっていると危機感を感じることもなく、茹でられたカエルのように知らぬ間に死に向かっていってしまう。
「死」というのは「市場価値を失う」という意味だ。
そういう意味で、社外の環境に出て失敗できてよかった。
自分より優秀な人の横で、自分のダメさを知ることができてよかった。

『ハッカーと画家』『情熱プログラマー』という本に「一番の下手くそでいよう」というエッセイが載っていて、そこでは以下のようなことが語られている。
※初稿では参考文献を間違えて、『ハッカーと画家』と書いてしまいました。謹んでお詫び申し上げます。
- 「自分が一番下手くそな環境」に身を置いたら、いつの間にか周りの人と同じレベルに引き上げられていた
- 周りの人のやり方に影響されて、自分自身が洗練されていった
- チームで一番下手くそでいれば、自分自身も賢くなる
- 「一番下手くそになろう」と努めたところで、本当にそうはならないものだ
- 人は「どんな仲間と一緒にやるか」で腕を上げることもあれば落とすこともある
- ある集団との長い付き合いが、その後もずっと人の能力に影響を与える
関連記事:「一番の下手くそでいよう」
この話から得られる教訓は、自分よりも優秀な人に囲まれた環境に身を投じれば自然と成長できるということで、
暗示している教訓は、自分よりもアホな人に囲まれたぬるま湯に浸かっていたら、自分も一緒に腐っていくということだ。
挫折はストレスになる。自分が貢献できない環境は正直言って辛い。
しかしそのストレスは学びにつながる。
全くストレスのない環境でダラダラするよりは将来的には自分の糧になるのだろう。
逆に言えば、周りから何も得られず、挫折もない快適な環境に長くいる場合は、危機感が足りていない可能性が高い。
思い当たる節がある場合は、意識的に外に出るか、環境を変えるように動き出した方がいいはずだ。
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