部屋のゴミ箱がティッシュで溢れている。
詰まっているのは私の鼻水である。
ディスプレイを見ながら涙が止まらなかった。
漫画を読んでここまで泣いたのはONE PIECEでエースが死んだときくらいだろう。
「愛してくれて、ありがとう」
奇しくも『ブラックジャックによろしく』のがんの話も「愛してくれてありがとう」に通じている。
しかしその話は我々に、愛より深い問いを投げかける。
「生きるとは何か?」
「死とは何か?」
「真剣に生きることは、死に立ち向かうことと同じではないのか?」
作中のある医者が言った。
「がん患者ほど一日一日を必死で生きている人達はいない。
かわいそうなのは、それに気付いていない僕達のほうさ」
死は敗北なのか。
死にゆく者は何を残し、残された者はどう生きていくべきか。
医療関係の友人が
「『ブラックジャックによろしく』はすごくリアルだった」
と言っていた。
綿密な取材を元に、医療の問題を克明に描いた問題作でもある。
漫画が描かれた時期は2003年。15年前の話で、現在とは状況が異なっている。
2018年現在では、患者はがんの検査前に「もし癌だったらその事実を知りたいか?」と問われ、患者が「知りたい」と答えた場合は、一から十まで全てのリスクを説明しているのだという。
最近、本庶佑さんがノーベル医学・生理学賞を受賞するきっかけとなった「オプジーボ」という治療薬は、がん治療に革命的な効果を発揮しているらしい。
このように漫画が書かれた時代と現代とでは状況が異なっているが、問いの本質は変わらない。
「生きるって、何ですか?」
ざっくりあらすじ
研修医である斉藤英二郎の研修先は永禄大学病院 第四外科であった。
指導医は次期教授候補のエリート・庄司直樹である。
「もしがんになったら、それを告知してほしいか?」
庄司直樹は研修医である斉藤英二郎に問う。
繰り返しになるが、2003年の話である。
「僕は患者達には何でも話す。
『あなたはがんです』から始まって、がんの進行度、回復の見込み。
半年後、1年後の生存率。
それが例えどんなに厳しいものであってもね」
「僕は真実を告げる。
そこに希望があるならね」
庄司のもとで修行を積む研修医・斉藤のもとに訪れたのは、膵臓がんに罹った辻本良江であった。
膵臓がんの場合、診断がついてから3ヶ月後の生存率は50%
1年後に生きている人はわずか10%しかいない。
手術で全てのがんを取り切れたら勝ち。
転移していたらどうしようもない。
たとえ患者がスティーブ・ジョブズだろうと。
『ブラックジャックによろしく』の辻元良江のがんは肺に転移していた。
手術でがんを取り切ることはできなかったのだ。
ここから辻元の抗がん剤治療が始まる。
抗がん剤の副作用に苦しみながらがんと闘っていくことになるのだ。
当時、膵臓がんに対して唯一使うことができた抗がん剤「ジェムザール」は辻元の身体には合わなかった。
がん細胞を寛解させる抗がん剤はもう存在しない。
「医者が努力している」姿を見せるために、「治せない薬」を渡すしかなかった。
主人公の斉藤英二郎を通じて、作者は日本の医療問題に切り込んでいく。
死に向かう患者を前に、医者はどうあるべきなのか。
保険が利かない未承認の薬を使うことはできないか?
一縷の望みに過ぎないのかもしれない。
でも可能性が残されているのに、何もできないままでいいのか?
かつて同じ問題に直面した医者がいた。
───児玉さん、あなたの病気はがんです。
膵臓がんのⅣ期で、がんが全身に転移しているためすでに手術はできません。
このまま放っておけば半年後の生存率は50%ありません。
根治する可能性はほぼありません。
退院できる見込みもありません。
だけど......生きたいと思いませんか......?
指導医の若き日の姿であった。
生きるって何?
「告知は正しい。その先にあるのは希望なんだ」
若き日の庄司は言った。
でもがんが治らないなら?
告知は正しかったのか。
人はどう生きて、どう死ぬべきなのか。
作中に登場する医者は常に葛藤し続けている。
「死は敗北なのか?
生き延びることが勝利で、死ぬことが負けだとしたら。
人間は負けることしかできない生き物なのか?」
話を斉藤英二郎の研修に戻す。
がんが治らず、余命があと2ヶ月しかないことを知らされた辻元は慟哭した。
がんによる死の宣告を受けた患者の多くはその死までに5つの段階を辿ると言われる。
第一段階。自分の置かれた状況を悲しみ、絶望する。
第二段階。その絶望が怒りに変わる。
第三段階。根治の可能性を捨てきれずに民間療法や様々な方法に手を広げる。
第四段階。あきらめる。
第五段階。死を受け入れる。
「生と向き合うことは死と向き合うことと同じではないか?
もしも真剣に生きることができたんなら、どうして死ぬ時に後悔なんかするのか」
そんな斉藤の言葉に背中を押され、辻元は言った。
「がんから逃げたくない。
たとえがんを治すことはできなくても、一生懸命考えたい」
辻元は自分のがんが治らないことを理解して、真剣に生きる決意をしたのだった。
一番大事なものは何か?
がんを受け入れ、真剣に生きる決意をした辻元。
自分にとって一番大切な子どもたちに、「自分はもうすぐ死ぬ」ということを伝える決意をする。
自分はどうして生きたかったのか?
生きることで、残されていく子どもたちに伝えたかったこと何か?
自分は何も後悔などしていない。
子どもたちと一緒に過ごせて死んでいける自分は幸せだった。
自分が死ぬことなんて何も悲しくない。
辻元は残された家族に向けて、最期の言葉を遺す。
「強く生きて」
「私がいなくなっても、同じ毎日を過ごして」
マンガ on ウェブ
『ブラックジャックによろしく』作者の佐藤秀峰先生は、この稀代の名作をなんと無料開放している。
この素晴らしいマンガを無料で、合法的に読むことができてしまうのだ。
記事では作品の魅力の一部しか伝えることができなかったので、ぜひサイトで読んでみてほしい。
がんの話は5巻〜8巻である。
僕は記事を書く前に一度読んで号泣して、記事を書きながらもう一度泣いた。
彼女に振られたときよりも泣いた。
一つだけお願いがあるとしたら、この漫画は部屋で一人で読んでほしいな。
会社のトイレとか、昼休みに公園のベンチで読むのはおすすめしない。
嗚咽を上げて泣いてしまうからだ。
一人で、できれば大きめのディスプレイで、ひっそりと読みふけってほしい。
ちなみにマンガ on ウェブに載せられている『ブラックジャックによろしく』は複製、再配布可能であると宣言している。