「非モテ」にはネガティブなイメージがある。
誰だって望んで非モテになりたい男はいないだろう。
バレンタインデーには好きな子がイケメンにチョコレートを渡すのを横目に、悔しさで涙を滲ませていたかもしれない。
「俺にもう少し力があれば...!」と拳を固く握りしめ、イケメンの顔面に叩き込みたかったかもしれない。
でも大丈夫だ。
この記事では、現時点で非モテな君が「実は全然負けていない理由」を圧倒的な情熱で語りたい。
非モテだからとって人生に負けるわけじゃない。
むしろ非モテは可能性に満ちている。非モテこそが世界を救うと僕は信じている。
- 時間を無駄にせずに済む
- 金を無駄遣いせずに済む
- モテない今が原動力になる
- 失うものがないからリスクを取りやすい
- 集中力を保つことができる
- モテるって幸せだろうか?
- 救いようがない人は実は少ない
- モテない状態を恐れなくていい
時間を無駄にせずに済む
実はモテ男よりも非モテの方が充実した時間を過ごせる可能性が高い。
こんなことを書くと「非モテの僻みだ」と思われるかもしれないが、ちょっと待ってくれ。
僕は自分の経験から非モテ状態のときこそが時間を有効活用できると確信している。
色んな女と遊びまくっていた時期よりも、女を一切断ち切って頑張っていた時期の方がずっと充実していたからだ。
狂ったように女遊びをしまくっていた時期があったが、あの頃費やした膨大な時間の中で、今の自分に役立っているものは一つもない。
あえて良かったことを述べるなら、その経験を元にブログを書けることくらいであって、500件以上交換した女のLINEはほぼ一人も残っていないし、何の知識にもなっていない。
アルコールで脳が溶け、睡眠不足で日中ボーッとして過ごし、夜だけ元気に街を徘徊して、まるで生きた屍、ゾンビのようであった。
人間、モテる時期もあればモテない時期もある。
女っ気がある時期もあれば、そうでない時期もある。
今は女遊びを全くしていない時期だが、人生はとても充実している。
目標を持った非モテは、目標もなく女遊びしているモテ男よりもずっと幸せだ。
非モテの幸せを感じろ!
金を無駄遣いせずに済む
世の中で最もお金がかかるのは女遊びである。
金持ちは時計や車に莫大な金を注ぎ込むのかもしれないが、少なくとも夜遊びしているサラリーマンは支出の多くを女遊びに使っている。
女にお酒を奢り、ホテルに泊まり、マッチングアプリに課金し、夜はクラブでお酒を買いまくる。
めちゃくちゃ金がかかる。
一方で、非モテは金を無駄に使わない。
会社の非モテの先輩を見たら、20代で1000万貯めていた。
女遊びをする人と、そうでない人では貯蓄能力に圧倒的な差があった。
「人付き合い」が一番金がかかるのだ。
非モテになると、関わる異性が減る。
その結果、ものすごく節約できる。
非モテを活かして、お金を貯めよう。
モテない今が原動力になる
非モテはガソリンになる。
「いつかモテてやるぞ!」
という強い熱意は我々に行動を促し、その行動こそが成功につながるはずだ。
「モテたい」という欲求ほど男をドライブさせるものはない。
いつか金持ちになって、いつかいい女をはべらせて、美味しいワインでも一緒に飲みたい...
...と夢を見る非モテは、未来の成功者だ。
その圧倒的な妄想力こそがクリエイティビティなのだ。
昔読んだ進化心理学の本に、結婚して子どもができて、モテに全く関心を示さなくなった研究者と、独身を貫いた研究者では後者の方が明らかに革新的な論文を発表する確率が高い、と書いてあった。
非モテを維持すれば、常にクリエイティブでいられるのだ。
非モテよ、誰にはばかることなく創造活動に励め!
失うものがないからリスクを取りやすい
人間、持っているものが多いほどリスクを取りにくくなる。
大企業サラリーマンで順調に年収が上がっていくとやめられなくなるのと同じで、既にモテている男は既得権益側だ。
一方で非モテはベンチャースピリットに溢れている。
なんといっても、非モテは何も持っていないのだ。
モテない・金ない・人生楽しくない
三拍子揃って人生が辛い非モテは、もう後がないからチャレンジするしかない。
何もない人間はリスクが取れる。
成功はリスクを取った先にあるのだ。
集中力を保つことができる
非モテは気を散らされるものが少ない。
女と連絡を取らなくても済むし、合コンの誘いを断る必要もない。
夜遊びしないから規則正しい生活ができる。
人間を最も惑わせるのは女絡みのいざこざだ。
非モテには無縁である。
非モテは強い。
何かやるべきことが見つかったら、その目標だけに集中できるのだ。
目標を定めたときの一番の障害は「他人の干渉」だ。
しかし非モテは存在が既に限りなく透明に近いので、誰にも干渉されない。
腰を据えて事業に取り組もう。
非モテであるがゆえに、事業の成功はもうすぐだ!
モテるって幸せだろうか?
色んな女の子にチヤホヤされて、とっかえひっかえ家に連れ込む男は幸せだろうか?
僕はそうは思わない。
誰にも相手にされない男が不幸なのはわかるが、フラフラと色んな女に手を出す男も同じように不幸である。
誰にでも愛されるのに、誰も愛せない。
愛し方もわからない。
だって、次から次へと女は現れるから。
女口説きジャンキーなると、頭が常に新規の女のことでいっぱいになり、一人の女にコミットできなくなる。
経験上、彼女が5人いるときよりも、1人の女の子に思い切り恋をしていたときの方が幸せであった。
そして、非モテスピリットを失っていないからこそ、1人の女を愛することができるのだ。
救いようがない人は実は少ない
世の中にはどうしようもない非モテはいる。
しかし実際は誠実で女にそれほど興味がないだけで、別に遊ぼうと思ったら遊びに行ける程度の非モテなのだ。
ツイッターのようなインターネット上にはやばい奴が大量にいるが、現実にはそこまでやばい奴はいない。
やばい非モテにさえならなければ、非モテ状態は悪ではない。
では、どうしようもない非モテとはどんな人物か。
陰キャ
陰キャな非モテとは、高校の教室で、目立ってるイケメンを横目で見て、キモい仲間達と陰口を言うようなタイプの人間だ。
ツイッターにはひたすら誰かの揚げ足取りに走り、リツイートしてから一言で悪口を言うような奴がけっこういるが、典型的な陰キャの非モテだ。
こうなるともう人生手遅れだ。人を不幸にする連中なので、ネットでもリアルでも関わらないほうがいい。
こじらせたインセル
アメリカで銃を乱射して事件を起こすのがこじらせた非モテ、通称インセルである。
人生に絶望して、世の中の恵まれた人間を逆恨みし、復讐しようとするのだ。
希望のない非モテは時に復讐に走る。
「現世で子孫を残せない」というのは、自分で遺伝子が潰えるということである。
どんな非モテも、希望があれば頑張れる。
前を向ける。
しかし、こじらせた非モテ男の中には
「悪いのは自分じゃない!世の中なんだ!」
と、周りの人たちを逆恨みするやつがいる。
自分が劣っていると認められないのだ。
そういう希望もなく、実力もなく、努力もできない他責思考の人間が、世の中に復讐するために銃をぶっ放すのだ。
女に擬態してモテようとする #metoo 男子
「metooを支持します!」みたいに、「女を支持する女の味方」みたいな顔で女に取り入る非モテがいる。
「女の味方に見せて、内部に侵入していく」というトロイの木馬のような男だ。
学校にもいただろう。
僕は女性の気持ちがわかるよ!みたいな顔で女に近づき、やたらと女に優しく便利な男が。
そういう男も本心ではモテたいのだ。
彼らが女の味方を気取るのは、魅力対決で他の男に勝てないからである。
「モテない現実」を認めず、女の味方に擬態して取り入るのは愚策である。
女からは「便利な駒」程度にしか思われないし、metooみたいな運動に躍起になって参加する女と仲良くなってもいいことなんてない。
擬態をやめて、問題を直視し、自分を向上させるための努力を惜しんではいけない。
擬態は「逃げ」である。
モテない状態を恐れなくていい
ネットでは「非モテ」は嘲笑の対象となる。
非モテというのは異性に相手にされない状態とされている。
「非モテ」であることを恐れ、「非モテ」にならないように、あるいは自らの力を証明するかのように女遊びを繰り返している人がいる。
皮肉なことに、そうやって「自らのモテ」を誇示したい人のほとんどは元々モテなかった人のようだ。
そもそも「モテる」ということにどれだけの意味があるのだろうか?
僕は社会人になってから「女にモテる」ことに意味があるとは思えない。
そんなことは何の自慢にもならないし、そんなことを誇る社会人がいたらむしろ軽蔑する。
学生でも同じだ。勉強で結果を出したり、部活で成果を上げる人のほうが100倍カッコいい。
非モテの学年トップくんは、もっと自信を持っていい。
非モテであることを恐れる必要はない。
自分のやるべき仕事にコミットした非モテはむしろカッコいい。
最も情けないのは、女の優先順位が異常に高くなった状態である。
この状態を「女ジャンキー」という。
そして不幸なことに、これは非モテに起因することが多い。
「女を求める」→「でもモテない」
という状態が長く続くと、女ジャンキーに陥る。
これはよくない。というか、みっともない。
目の前の女に惑わされて、大切なモノを見失いがちだからだ。
一度非モテを卒業した人は、
「女はその気になればなんとでもなる」→「だから今、女を求める必要はない」
くらいのスタンスがちょうどいいのではないだろうか?
この状態を「ネオ非モテ」と呼ぼう。「ポストモテ」と言ってもいい。
「女遊びはやろうと思えばできる」
という確信さえあれば、自分の力を誇示するかのように複数の女と並列で遊ぶ必要など無いのである。
そうすれば、今現在「会う女がいない」=「非モテ」でも別に気にならなくなる。
女遊びというのは刺激的な麻薬のようなものだ。
遊び続けたら際限がなく、次の刺激を求めるようになってしまう。
後に残らない人間関係に時間を使うのはもったいない。
時間は有限だからだ。
その時間を自分のビジネスのために使う方が有意義だと思う。
「非モテ」を卒業して「モテ」の確信が持てた人は、「ネオ非モテ」を目指してもいいのではないだろうか。
もちろん、元々女の優先順位が高くないのであれば、「モテる」を目指す必要もない。
「【自分はモテる】と確信すること」は「女の優先順位が異常に高い状態」への処方箋なのだ。