二村ヒトシの「すべてはモテるためである」という本が前々から気になっていたので、読んでみました。
二村さんは、なぜあなたがモテないのか?という疑問について、
それはあなたがキモチワルイからである
と断言しています。
では、その「キモチワルサ」とは何か?
- 自意識過剰だから、キモチワルイ
- マニュアルをそのままコピーしてるから、キモチワルイ
- 自分を特別だと思い込んでいるから、キモチワルイ
- エラソーだから、キモチワルイ
- 下品でギラギラしてるから、キモチワルイ
その「キモチワルサ」の処方箋として、二村さんは
自分の頭で考えましょう
と言います。
- 「どう動くべきか」を自分で考えましょう
- コンプレックスと向き合いましょう
- 相手を同じ土俵に立ちましょう
- 相手がされて嬉しいことを考えましょう
- 適度な自信を持ちましょう
- 自分が本当に好きなことを認識しましょう
そして、自分らしさを大切にしましょう、と。
自分が素でいられる居場所を見つけて、迷ったときはそこに戻ってきましょう。
あなたがキモチワルイのは、素じゃない自分を見せているからです。
自分の最も輝ける場所を見つけ、色んな自分を自己開示して、相手に判断を任せましょう。
「ありのままのボク自身」を「気持ち悪くない」に変えていくことが、モテへの道です、と主張しています。
「恋愛市場ほど小手先のテクニックだけで上手くいくところない!」と主張する恋愛工学と対極にあるかのように見えます。
以前、二人の対談が話題になりました。
二村ヒトシと藤沢数希の対談が噛み合わない理由
少し前に二村ヒトシ&藤沢数希の対談が話題になりました。
二人の会話は終始噛み合わず、対談も歯切れの悪い終わり方をしたことが話題になっています。
二村さんの著書と藤沢さんのメルマガを読めば、その理由はよくわかります。
そもそもの思想が決定的に異なっているから、分かり合えるはずがないのです。
「モテる」とは何か?
藤沢さんはモテについて、明確な定義を提示しています。
モテ = 試行回数 × ヒットレシオ
言い換えると、
女にアプローチした数 × セックスできる確率
となります。
つまり、
モテ = セックスした人数
と同義です。
一方で、二村さんは
「あなたにとって『モテ』とは何かを自分で考えなさい」
と言います。
好きな人に愛されたいのか、たくさんの人に好かれたいのか。
たくさんの女の人とセックスしたいのか、友達がたくさんいればいいのか。
多くの人が思い描く「モテ像」に迎合せず、自分自身の「モテ像」を考えなさい、と言います。
「モテる方法」についても二人のスタンスは対照的です。
二村さんは、マニュアルは気持ち悪いからそういうのに頼ってはいけない。
「自分の頭で考えなさい」ということを強調します。
一方で藤沢さんは「僕達の恋愛工学をやるだけです」というスタンスを貫いています。
恋愛は確率のゲームだから、当たることもあれば、外れることもある。
その確率を高めるために、恋愛工学的な振る舞いを身に付け、複数の女性に同時アプローチを行い、常にセックスに困らない状況に身を置くことが大切だと言います。
モテることで余裕ができ、その余裕に「メス」である人間の女性は惹かれていく。
そしてモテがモテを呼ぶモテスパイラルが回っていく、というのが恋愛工学のグッピー理論です。
一方で、二村さんのスタンスは、少しずつ女の子との会話に慣れていくことで、気持ち悪さを取り除いていきましょう、と言います。
根本となる「気持ち悪さ」と向き合い、それを克服し、自分が自分らしくいられる人と一緒になりましょう。
「モテ」の考え方から「アプローチ」まで、面白いほど対照的な二人の対談が噛み合うはずがありません。
「モテる」って何?
「モテたい」という願望は割と普遍的なもので、多くの男の人が共通して持っているものだと思っています。
しかし、この「モテ」の定義をハッキリとしておかないと、「モテたい」と思ったときの行動が変わってきてしまいます。
自分の中のモテの定義は、
「存在を知られた女の子に、好かれる確率」
だと思ってます。
大量にアプローチして、そのうちの何人かとセックスしている人が「モテる人」なのかと言えば違うと思うし、セックスしていない人が非モテかと言えば、別にそうでもない。
セックスより大事なことに注力している人は、むしろ素敵だと思います。
マニュアルは不安な心を救う
大学受験のとき、和田秀樹の本や荒川英輔の本を読んだことがある人はいますか?
就活のときに、「絶対内定」とか「ロジカル面接術」という本を読んだことがある人もいるかもしれません。
僕は読みました。
マニュアルにすがりたくなるときは、めちゃくちゃ不安なときです。
怖くて怖くて仕方がないとき、心の支えがほしくなります。
この人の言うとおりにやれば大丈夫だ。
信じれば大丈夫。
そして、愚直にマニュアルを実行します。
自分に自信が無いからです。
結果が出始めるとだんだんと自信がついてくるのですが、最初は不安で仕方がない。
でも受験も就活も、本当にデキる人は、自分で考えてるんですよね。
本当に勉強ができる人で、勉強法の本を読みまくってる人はいなかったように思います。
恋愛も似たようなものなのかもしれません。
不安な人が、不安を取り除くために、心の支えを欲する。
二村さんの「自分で考えろ」は正論は正論でも、残酷な正論です。
なぜなら、成功体験の無い人間が自分で考えるのは、正解がわからないまま常に不安と向き合うことになるからです。
怖さと向き合う勇気
震える男は恋愛に退屈しない、と。
恋の快楽はいつも、不安と危惧に比例しているのだ。
「スタンダールのAKB恋愛論」
http://ameblo.jp/mizunokeiya/entry-12040295356.html
春先にたまたま、すごく可愛いなって思える子と出会いました。
可愛いな、この子と仲良くなりたいな、と思える子でした。
メールが返ってこないと不安になり、3年ぶりくらいに友達に恋愛の相談をしました。
彼も僕も、恋愛工学のメルマガを読んでいました。
お前、それは非モテコミットだ。
今すぐナンパして、他の女とセックスして、非モテコミットから抜け出すべきだ。
彼は僕にそうアドバイスし、僕自身も恋愛工学を信じ、禁忌とされる非モテコミットを抜け出すために、他の女の子ともデートして、感情を分散しました。
結果としては、その可愛い子と付き合うことになりました。
執着の分散によって、冷めた気持ちで接することができたため、適切な行動を選択することができたのかもしれません。
でも、最初感じてたような不安な気持ちとか、メールできて嬉しかった気持ちとかが、後から復活することはありませんでした(すぐに別れることになりました)
恋愛って初速が大事で、一度閾値を超えるくらい好きにならないと、後からそれ以上好きになることはできないんですよね。
そして、一度執着を分散して気持ちを冷やしてしまうと、恋の閾値を超えることができない。
僕は恋愛感情はある種の思い込みだと思っていて、自分が自分の主観で、
「もうこの人以上はいない」
「この子は自分の100%の相手だ」
って思い込めることが大事だと思っているんです。
でも、「セックスする前は女の悪いところだけを見つめる」というような恋愛工学的な接し方をしていると、どう頑張っても後から「この子しかいない」と思い込むことなんてできない。
だから、執着の分散は危険なんです。
メールが返ってこない不安とか、相手が好意を示してくれた時の嬉しさとか、そういう感情も全て分散してしまう。
恋愛工学は批判も多いですが、「経験人数を増やす」という点では非常に有用なメソッドだと思います。
恋愛工学は一般的に、そのマニュアル的側面に注目されがちですが、
「女から見てキモい男にならないための考え方」や、「女に拒絶されるときの痛みを軽減する教え」が徹底されることにより、経験人数を増やすメソッドとして最適化されています。
藤沢さんが定義する
モテ = 試行回数 × ヒットレシオ = 経験人数
を最大化するようノウハウが体系化されているということです。見事なくらいに。
女の子にアプローチする際の恐怖の感情を抑え、試行回数を増やす後押しをする。
デートの際は、
Attraction(魅了する)→Comfort-Building(信頼関係を築く)→Seduction(誘惑する)
という3つのフェーズで、それぞれ適切な振る舞いをルーティーン化(マニュアル化)することで、ヒットレシオ(=セックスできる確率)を上げる。
それらは全て、経験人数を増やすために最適化されています。
恋愛工学っぽい考え方で女の子と接すると、たしかにキモい振る舞いをすることは減りました。
「あなたが好きです!」みたいな告白はしなくなったし、見込みのない女の子を追いかけることもしなくなった。
拒絶されたときの痛みも感じなくなりました。
一方で、恋愛工学は感情の振れ幅が小さくなるように設計されているため、プラスに向かう感情の振れ幅も小さなものとなり、女の子と一緒にいるときの幸福感も小さなものとなってしまったように思います。
何のために女を口説いているのかわからなくなったこともありました。
セックスだけを求めていたわけではなかったからです。
だから、今振り返ると。
自分が、自分の主観で幸せになるために。
というか、僕が僕の主観で幸せを感じるために、恋愛工学にこだわる必要はなかったんじゃないかな、と思っています。
なぜなら、恋愛から得られる幸福感っていうのはやっぱり、不安や恐怖と隣合わせにあるものだからです。
恋愛工学は不安や恐怖を最小化し、気持ちの昂りはセックスを遠ざける「非モテコミット」とみなされ、抑えられてしまいます。
でも。
落ち込んだりヘコんだり、たまにすごく嬉しくなったり。
相手が何考えてるのかわからなくて不安になったり、そんなとき不意に見せる優しさがすごく嬉しかったり。
そういう怖さから、目を背けるべきじゃなかったと思っています。
そういう感情の昂りを、大切にするべきだったと思っています。
だって、そういう怖さを与えてくれる相手こそが、恋の閾値を超えさせてくれる女(ひと)だからです。
- 作者: 二村ヒトシ,青木光恵
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2012/12/02
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