以前、あるチベット密教の高僧に神通力や霊能力について尋ねる機会がありました。
多くの僧呂を指導している、その大阿闍梨は静かにこう言われました。
「そういう力はある。しかし、むやみに人に言うものではない。人を惑わすからだ。」
後で、その方が実際に特別な力を具えていると他の僧侶から聞きました。しかしご本人は一度も誇りませんでした。
仏道の目的は霊能や神通を得ることではなく、慈悲の実践と智慧を開き、迷いを断ち内なる仏に目覚めることです。
私自身、ほぼ毎月稲荷山に参拝する中で気づいたことがあります。
とくに「お告げ」を告げる人がいなくてもよいのだということです。
誰かの言葉を待つよりも、
自分が信じ、自分が行を重ねること。自分で気づくこと。
結局それこそが、気づきを得て、悩みを断ち、心を整えていく道でした。
「霊がついている」「特別な加持が必要だ」と不安をあおる言葉に振り回されるよりも、淡々と参拝し、供養し、行を続けることのほうが、はるかに確かな力になります。
外の神秘は入門のご縁にはなりますが、それに頼り切るのではなく、自らの内なる信と行を灯とすること。それが、惑わされない仏道の歩みです。
