以下の内容はhttps://oomorigijyou.hatenablog.com/entry/2026/02/22/103044より取得しました。


おくじは危うい 迷信に陥りやすい

世間でいう「おくじ(お告げ)」というものは、とかく誤解や錯覚が生じやすいものです。そしてそれ以上に恐ろしいのは、迷信に陥り、自らの判断力を失って身動きが取れなくなってしまうことです。私はこれまで多くの信仰者に接し、身の上相談を受ける中で、「おくじ」に対する姿勢を改めるようになりました。

 

『泉聖天尊』の中で、著者の村木幸次郎師はこの問題にこのように警鐘を鳴らしています。村木師は、霊覚者であった泉聖天尊の高弟であり、ご自身も霊能を備えていたと伝えられる方です。そのような人物であっても、「お告げ」に対しては慎重であれと注意を促しているのです。

 

村木師は、神仏の導きを願うとき、他者からお告げを受けようとするのではなく、「自分の胸に思わしていただくようにお願いしなさい」と勧めています。これは極めて大切な教えです。外から与えられる声を追い求めるのではなく、静かに祈り、自らの内に響くものを大切にするという姿勢です。

 

実際、皆さんもよく知っているある霊能者が、お告げを外し、結果として商売に大きな悪影響を受けたという話を、関係者から伺ったことがあります。どれほど名が知られていようとも、「絶対視」は禁物です。

 

また、ある心理学の研究者から聞いた話があります。その方の友人が突然チャネリング、いわば現代風の「お告げ」を始め、人を集めていたそうです。試しに参加して話を聞いてみると、「これは宇宙意識の言葉ではなく、この人自身が語っているのだ」と見抜いたといいます。立派な内容であっても、「私が言いました」では人は耳を貸さない。だから「宇宙意識が語っている」という形にして、無意識あるいは作為的に権威づけしているだけだった、というのです。

 

この話の何が怖いかといえば、聞く側が「これは神様の言葉だ」「宇宙意識の声だ」と思い込んでしまい、その発言者の言葉に支配され、コントロールされてしまうことです。信仰の名のもとに、思考停止が起こる。これは実に危ういことです。

 

私は、神仏のお告げというものが全く存在しないとは思いません。しかし、もし真にそのようなことがあるとしても、それは生涯に一度か二度あるかどうかではないでしょうか。歴史的に偉大な宗教者の伝記を見ると、それがうなずけます。

 

これまで「神仏がこう言っている」「ご本尊のご指示で」などと頻繁に語る人を何人も見てきましたが、ほとんど疑わしいものでした。

 

それでも、真顔で断言されると、悩み苦しんでいる人は信じてしまう。そして誤った導きに従えば、結果として共に深い迷いへと落ちていくことになります。そこにこの問題の恐ろしさがあります。

 

まして現代は、動画やSNSで情報が瞬時に拡散される時代です。権威づけされた言葉は簡単に広まり、多くの人の心に入り込みます。だからこそ私たちは、より一層慎重でなければなりません。

 

神仏は、私たちの思考を奪う存在ではありません。むしろ、私たちが本来持っている良心と智慧を目覚めさせる存在です。外から響く大きな声に振り回されるのではなく、静かな祈りの中で、自らの胸に問い、自らの責任で歩む。その姿勢こそが、健全な信仰の道ではないでしょうか。

 

お互いに、迷信に流されず、しかし疑いに閉ざされることもなく、正しい信仰の眼を養ってまいりましょう。合掌

f:id:oomorigijyou:20260222103034j:image

 




以上の内容はhttps://oomorigijyou.hatenablog.com/entry/2026/02/22/103044より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14