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苦、三密行、自力と他力 その3

真言密教への正しい理解を促すために、故田中千秋先生の『入門 真言密教の常識』から大事な個所を引用します。この本は残念ながら絶版。

 

さて仏の三密と行人の三密が加持するというのは、大雑把に言えば他力と自力が和合するということである。

前項でも述べたように、真言宗信仰の中に他力の義は大いにある。他力といえば浄土門に限られ、他宗は聖道自力の仏法であるというのは浄土門の言い分である。

真言宗にも他力義があるのである。弘法大師は他力という語を使われなかった。

他力に該当する語は如来加持力(にょらいかじりき)であり、さらに如来の働きをあらわす語に、驚覚(きょうがく)、驚誘、開示等がある。

『声字義』(注、弘法大師の著述、『声字実相義』 しょうじじっそうぎ)に「衆生痴暗にして自ら覚るに由なし。如来加持してその帰趣を示したもう」とあり『三昧耶戒序』(さんまやかいじょ)には「二乗の人諸佛の驚誘をこうむるがゆえに他縁大乗心を起こす」とか「一道如実心の人諸仏の驚覚をこうむるがゆえに極無自性心を発す」とある。

 

これを見る限り真言宗は単に自力の仏教ではない。むしろ如来の威神力によって行人は高められ、抜済されるのである。

真言宗の祈願祈祷や大師信仰は、真言宗が単に自力の宗教であったら成り立たない。

 

つづく

(※注は大森)

 

つづく

田中千秋著『入門真言密教の常識』朱鷺書房刊 p29~30から引用

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