如来の加被力ということは、
たとえば、牛の背から二俵の米が着けてあるのを一俵だけとって
軽くしてやるのじゃと思われるじゃろうが、そうではなく、
その上にもう一俵増してやることで、人間、艱難辛苦の時にこれを助けてやるよりも、
もう一歩深みへ落として、その辛苦を心から味合わせて、将来にその人のためになる、
それがほんとうの加被力であり慈悲ですのじゃ。。。
『我が師村田和上』桜井鎔俊著 春秋社刊より
村田静照和上の法語から
※村田和上の法語を読んでいて「なるほど」と合点した。
次から次へのいろんなことが起こることがある。私も経験済み。現世の宿題。なんで私ばかりとわが身を恨みたくなるときもある。
そして、信仰していても、そういうことが起こる。そのときは、信仰をやめずに、これも如来の加被力と承知して向き合っていると、いつのまにか終わっている。そして力がついているのに気づくものだ。大森談
