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いかなる心でも

念仏相続して心を澄まそうとするのは、河辺に臨んで水の流れが止んだら渡ろうと思うようなもの。河に足を踏み込んでみれば、水は足に食い込みはせぬ。念仏には妄心も散心も食い込まぬ。いかなる心でも念仏申すにしくはない。

『我が師村田和上』桜井鎔俊著 春秋社刊より

村田静照和上の法語から

 

真宗では念仏を唱えると言わないで、「申す」と言うそうである。

「しくはない」=勝るものはない。

 

密教経典のなかには、心乱れての念誦を良しとはしないものがあります。しかし、実際は真言念誦も村田和上が説かれるのと同じだなぁ、と長く念誦を続けてきて実感しています。

いかなる心で真言を唱えても、その功徳は甚深です。薫り高い香木の林のなかに、戯れに入っても、その香りが身に沁みつくように。何気に真言を唱えても、その功徳を自然に頂けるものです。

 




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