

二ノ峰 中社 青木大神参拝
辻󠄀亭に入っても りりこ がいないので寂しい感じがする。お茶屋さんの奥さんもまだ悲しいとおっしゃられてた。無理もない。
喪失というものは自分の手や足、あるいは半身がなくなるのに等しい。再び生えてくることはない。
それに馴染んで生きるということ。それには長く時間がかかるのである。時にはどれだけ時間をかけても馴染めないこともある。
この時、大事なのはひとつ。日々、合掌し御供養すること。どれだけ供養しても悲しみが消えないかもしれない。それでも供養つづけることである。


お燈明を供えてご法楽
理趣経百字偈、菩提場荘厳陀羅尼、千手真言、仏慈護真言などをお唱えする。
報恩謝徳、国家安穏、万民調和、御同行の吉祥成就祈念。
御神蹟の後方から御法楽