ここにある信心家の告白がある。
その人は旅に出るときは出がけに必ずまずお大師様を拝む。
旅から帰るとまた何よりも先にお大師様にお礼を申し上げる。
乗り物に乗るとなによりもまずその乗り物の安全を祈る。
車体に故障なく、機械に故障なく、運転に故障なく、乗務員に故障なく、乗客に故障なく、天に故障なく、地に故障なく、進路に故障なく、何事もなく何卒つつがなく目的地に着くように!
こう祈るのである。
万一にもあり得る不幸を思い、そしてその結果の悲惨なことを考えるとそう祈らずにはいられないのだという。
見方によってはあまり神経質だとも言えようが、世界と自分との不安な現実に対して素直で謙遜な、いわば心の柔和い人々は、なるほどさもありなんと思われるのである。
もし現実の危険さと、人の力の限度を虚心坦懐に反省するならば、人は誰でも多かれ少なかれそういう砕けたる心の祈りを祈らないではいられまい。
だから心おごり才長けた人でも、一朝事件に臨むとそういう気持ちになるのである。
また身に余る大責任を負うとそういう態度になるものである。
人が一度生の底知れぬ不安に直面して身の頼りなさを自覚すると、その不安の底から自ずと仏のお名が口をついて出るのである。
本文『神代峻通講話集』神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載
