施すということを仏教では布施といいその主要な徳目としてある。
六度(大森註、六波羅蜜のこと。度は「渡る」の意味。彼岸に渡る6種の方法)の行ででも、四摂(ししょう)の方ででもその第一に数えてある。三種菩提心に当てると第一の大悲行願心にあたり、四無量心に当てると慈悲に当たる。
楽を与えるを慈といい、苦を除く悲というのである。
大悲は慈悲の総称で、慈悲は仏心である。
慈悲は力である。だから仏を勤勇者(ごんゆうしゃ)というのである。
愛は人に生き甲斐を与える。
だから愛子を失った母は生きる気力をなくすることがある。
ところがそういう夫人も孤児への奉仕に身を捧げるとまた生き返ることがある。
我が子への小愛が孤児への大会に変わるからである。
人は愛によって生きる。愛は愛せられるものを活かすだけではない。より多く愛する人その人を活かすのである。愛は生命である。
仏様はそういうお生命、お大師様はそういうお生命である。
ただ、ねだったり、お任せしたりしているだけでは信仰の本当の力は出ていないのである。
続く
昭和27年末
(大森註 神代先生はもとクリスチャンなので愛という表現が多い。聖愛ということだろうか)
本文『神代峻通講話集』神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載
