以上のことからお大師様の信仰にもいろいろの段階があることがわかる。
第一にはご利益を祈りご利益があれば信じる信仰
第二はご利益を祈りはするが必ずしもご利益にこだわらずに信ずる信仰
第三はお大師様の慈悲の心に生きる信仰である。
お大師さまは確かにご利益をくださるのであるからご利益を祈るのは良い。また人間は衣食住の資料と健康と智慧と徳と運がないと生きられないのだから、そういう人間の生きるに必要なものをくださるようにお祈りするのは仏意にもかなったことである。
けれども個々それぞれの場合に、人に何が必要であるかということになるとそう一概には言えないのである。
何が自分に最も必要かということは自分にもわからないことがある。
例えばお銭は人に必要なものであるけれども、人によってはむしろ銭がなかったほうがよかったというようなこともあるのである。
才能についても腕力についても、また権力についても、また何についても同じようなことが言える。
物のあるなし、運不運は大きく見れば人の幸福に絶対必要なものではない。
大事なものはむしろそれに対応する人の心である。
だからご利益のあるなしにかかわらず、ただお大師様を信じるということは、実はそういう信仰を持つということ、そのことが何よりのご利益である。
ところがなおそれにも増した,もう一つの信仰がある。
つづく
本文『神代峻通講話集』神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載

京都三弘法の一つ、神光院にて撮影