3-1からの続き
こうして私たちの智慧は増し加わる。
仏様のお守りを信じて長い目でものを見、大きな心でものを考えるからである。
私たちの心はおのずとあわれみに潤う、仏様のあわれみにいつも温められるからである。
また仏の大船に乗っているからには心は巌のように揺るがない。仏様の計らいを信ずるから素直である。無理や僻みを離れる。これを柔軟の心とも言う。こういう智慧と憐れみと心の決定と、素直とは実は人の世に尊い美徳なのである。
これは他ならぬ仏の性である。また仏の香りである。仏様に親しむものには仏の性が移り、またその香りが薫ずるのに不思議はないみ。
み仏の香りといっても元々は私たち衆生の香りなのである。愚かで意地が悪く怒りっぽく、すねたりひがんだりすることの多い私たちに、どうしてそういう尊い性質があるかといえるか。
時には、ほとほと自分でも愛想のつきる自分ではないのか。
左様だ!!
それでも一方で私たちは皆仏の香りをした心を持つ。そして御仏の香りに逢えばまたほのぼのとその香りに染む。
仏は仏に頼るものを加持してこの性をめぐみたもう。だから仏と心通うものにはそのお言葉は楽しく、その御教えは力となる。
タバコのみはタバコによって、酒飲みは酒によって、それぞれの慰安と力とを得るように、信者の慰安と力とはただ教えから来る。
私たちの魂はこの世の生業の途上で、時々飢え疲れて、味気無き想いに堪えぬことがあるものだ。
その、うなだれた魂をも慰め、励まして力づけたもうのはみ教えである。
み教えを紐どけば心に春風が吹く。
顕彰自仏行悲願(けんしょう じぶつ ぎょうひがん)
貴きみこと(御筝)をきくままに
妙なる生命身にしみて
心けなげになりぬなり
つづく
本文『神代峻通講話集』 神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載
