今日は巳の日 御同行のNさんが不忍池辯才天に参拝された写真をおくってくださいました。
以前にもご紹介した濱地天松居士は不忍池辯才天さまを熱心に信仰されていたので、その逸話を一部再度ご紹介します。
【現在の銀座一丁目の一角に天松先生の法律事務所と住居が昔からあった。
ここからは特に近いとは言えないが、比較的便利で有名な弁天様は上野不忍池の弁才天であって、先生は常にここに参詣し、信仰を続けておられ、のちにここを離れ大井町住まいになられた後も、何かにつけ参詣を続けておられた。
先生は長年にわたる信仰からであろう。ここの弁天様には格別な親近感のようなものを感じておられられたようであった。
春秋に催される一七日間にわたる浴酒供をはじめ、大般若供などの行事にはほとんど欠かさず参詣され、特に浴酒供の間は毎日参篭して一日数時間読経しておられた。
経文は金光明最勝王経、金剛経、観音経などで、あるときは午前から午後にかけ、あるときは午後から夕方 堂の閉まるまで、こうして熱心に読経数時間を過ごして帰られたもので、これが何十年も続いたのである。
またこのような行事の間にも困難や難局に直面されれば、それを携えて、また喜び事や慶事にあたっては感謝お礼にと言うように、何かにつけて弁天堂に足を運ばれていた。
そして私(註、林天朗居士)に
「私が不忍池の弁天様に参詣するのは、ちょうど親しいおばさんのところへ話に行くような気がする。だから読経した後、今日はこんな良いことがありました。ありがとうございます。
明日はこれこれの難題が控えております。何卒なにぶんにもよろしくお導きいただき、御守護願いますというように、近く親しいおばさんに何もかも打ち明けて話すと同様な気持ちで参詣するのだが、何時も何がしかの智慧や方策を授けられ、幾度も難局を切り抜けて来たものだよ」
としみじみと述懐されたことがあった。
かくの如くで不忍池の弁才天様と先生とは、何か特別に強靭な結びつきがあったようで、厚く深い信仰のもと、精神的、物質的、かつ又肉体的にも数々のあらたか霊験を受けてをられたのである。】『金剛経に一生を捧げた 濱地八郎 天松居士』林天朗著、濱地光男編より引用。










聖天島


Nさん忍岡稲荷さまにもお参りされたそうです。




そして上野大仏にも
