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信仰の功徳 その5 神代峻通師

こうして念誦していると、その間にいろいろな物の姿を見たり声や言葉を聞いたり、また思わぬ考えがフイフイと浮かんで身内が熱くなることがある。

それは不思議な感激である。

けれどもよりありがたいのは、そうした経験を超えて、自分の身と心とが清く光明に輝くの覚えることである。

これが何よりも尊い

これほど幸福で満足なことはない。

これがいわゆる「自証の大楽」と言われるものであろう。

そして、こうした満足を味わうと、何となく人懐かしくなり友が欲しくなり、この喜びを語り合って、幸福を共にしたいという心持ちになる。

一人では淋しい。

それは世間並の淋しさではないが、寂しい。それは※「愛のさびしみ」である

愛さねばすまない、清いさびしみある

友をえて、この清い幸福を共にする時、大楽はまた大喜となる。

これはいわゆる「化他の大喜」である。この大喜大楽を得て、はじめてわれわれは大満足を得るのである

それは、その時こそ我々が本当に「人間」になるのだからである。

つづく

※神代先生は元クリスチャンだったので、こういう表現を使う。仏教で言う渇愛のことではない。

 

(本文の読みやすさを考慮し、原文からカナを漢字に改め、句読点を変更し、()にて原文を補った。)

 

『神代峻通講話集』 神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載


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神代先生の墓所 




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