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大師念誦の教理 その7 神代峻通師

「(菩提心)論」の三摩地では、この「いのち」の組み立てと、中身と、それを実知する方法と、実知することの効用とを説いてあるのである。

 

そして、それはかなり複雑に、細かに説いてあるけれども、つづまるところは、わたくしたちが遍照金剛の「いのち」をこの身、この心の中に実知し実感することを教えてあるのに他ならない。

 

ところがわたくしたちは、お大師さまの御宝号(南無大師遍照金剛)を唱えて、ひたすら念誦すると、それらの行法を越えて、すぐに遍照金剛の「いのち」を受け得ることを経験するのである。

 

それは不思議といわねばならぬ。

けれどもそれは弘仁4年のご訓誡やご入定のご誓願などを思い合わせると、さもあるべきことであるように思われる。

 

それはお大師様の永遠の慈悲の証拠に他ならないのである。

あのご訓誡の中でお大師様は

 

師としてわたしの愛は、世の中の父のそれよりも濃いのである。父と子とは骨肉の関係で親しくはあるけれども、それはこの世だけのことで、時にはかえって迷いの元となる。しかし、師として私の愛は教えの関係である。

この愛は、この世のことにおいても、また霊(註)のことにおいても、共になんじらの苦しみを取り去り、楽を得させるのである。ー意訳ー

としみじみと説き諭しておられるのである。 

昭和23年11月6日 おわり

 

註 神代師がいう「霊」とは単に霊魂ではなく、ここでは「出世間」仏教的なこと。神代師はもともとクリスチャンだったので、こういう表現が散見される。

 

 

(本文の読みやすさを考慮し、一部原文のカナ・かなを漢字に改め、句読点を変更し、()にて原文を補った。)


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神代峻通師 近影

本文写真とも『神代峻通講話集』 神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より転載




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