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二世安楽の功徳

この世もあの世でもご加護がある、二世安楽の功徳ですね。

これはもちろん聖天様のみならず、すべての仏尊の功徳であります。大森

 

3月16日〜22日までの施餓鬼供養、並びに3月20日〜22日の春季彼岸会をありがとうございました。
私自身も、それぞれ7座・3座の自宅追善供養法を、なんとか無事に終えることができました(20〜22日の3日間は、2座の勤行でしたので少し大変でしたが…)。

 

私は◎◎聖天として知られるお寺にご縁をいただき、毎年、1年単位の浴油祈祷をお願いしています。その一つとして、母を願主とした「延寿福楽」の祈祷を続けていました。そのおかげか、母は介護施設に入ることもなく、薬の処方も受けずに自宅で穏やかな日々を過ごしていました。

 

しかし、昨年12月、母が体調を大きく崩し、それを機に祈祷料を増額し、必死の思いで母の回復を祈りました。けれども、寿命には逆らえなかったのか、母は「もう十分に生きた」「自然なことだから」と死を受け入れ、最期は飲食を断ち、そのまま旅立ちました。

 

私は少しでも長く生きてほしいと願い、飲食を勧めましたが、母は次第に受けつけなくなりました。その様子が餓死の苦しみのように思え、自分を責めることもありました。しかし、◎◎聖天の春季お彼岸施餓鬼会の際、ご住職様から「即身仏」のお話を伺いました。食を断ちつつも禅定を崩さず、苦しまずに入定する姿と母の最期が重なり、私はハッとしました。

 

調べてみると、老衰による絶食は餓死ではなく、「自然死」または「平穏死」と呼ばれるもので、意識が朦朧とする中で苦しみも少なく迎えるものだと知りました。点滴や胃瘻の処置がかえって苦痛を伴うこともあると知り、母は苦しまずに天寿を全うしたのだと納得でき、心が少し楽になりました。

 

母は自宅で、私に看取られながら旅立ちました。「延寿福楽」の願意どおり、寿命を全うし、安らかな最期を迎えられたのだと感じ、あらためて聖天様に感謝しています。

 

また、ご住職様のご厚意で、浴油祈祷の残り期間について「延寿福楽」の願解きを行い、阿弥陀堂で追善供養をしていただけることになりました。お参りの際、母の戒名が書かれたお塔婆を拝し、深い感謝の念を抱きました。

金翅鳥院の羽田先生が「聖天信仰はやがて十一面観音信仰となり、最終的には阿弥陀信仰へと至るべき」と述べられていたように、私の母も聖天様の「延寿福楽」から阿弥陀堂での追善供養へと移り、まさにその道を辿っているように感じます。このことにも深いご縁を感じ、ありがたい気持ちでいっぱいです。


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