(註、大師念誦とは、高祖弘法大師を念じ、南無大師遍照金剛をお唱えすること)
しかし念のために多少その教義的説明をしておきたいと思う。
わたくし(註、神代峻通師)の考えでは、大師ネンジュ(註、念誦)は三摩地心または大菩提心に当たる。
『菩提心論』によると三摩地心は、三種菩提心の一つで月輪観、阿字観、および五相成身観の主体でもあり、また対象でもある。
その行法はやや複雑であるけれども、その心境は単一なので、ただつくろう所なく自然に絶対のところに安住するにある。
『(菩提心)論』では、これを「法爾に普賢の大菩提心に住する」と云うのである。
ところでこの大菩提心は遍照金剛であるからして、大師念誦は、すなわち三摩地心 三摩地心すなわち大師念誦だとわたくしには思われるのである。
菩提心論には三摩地心の功徳を次のように解いている。
「誰でも心を定めて教えのとうりに修行するならば、すぐに自分の本当の心を見極めることができる」ー意訳ー と
これは、わたくしたちが遍照金剛を念誦して、遍照金剛になる事を別の言葉で説いたものに過ぎない。
この遍照金剛は、もうたびたび言ったようにわたくしたちが、この身この心に実感するあの自由と、慈しみと喜びと力と明るさとのほかではない。
これが大菩提心で、お大師様の心で、またわたくしたちの「本心」なのである
続く
(本文の読みやすさを考慮し、原文からカナを漢字に改め、句読点を変更した。)

神代峻通師 近影
本文写真とも『神代峻通講話集』 神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より引用 転載