私(神代峻通師)はすでに2回ほど大師念誦のことを書いた。
それは昔からあり、今日も広く行われている信仰を、ただ代弁したのにすぎない。
私は昭和19年10月高野山真別処、円通律寺の道場で理趣経加行を修した。それは私の多年の願いであった。毎日一萬遍の御宝号を念誦し、10日の間清寂を楽しむことができたのは今思い返しても尊い。
しきたりによれば、この理趣経加行は四度加行の入り口に過ぎぬ。
しかし、私は「入口」はやがて「奥殿」であることに気がついたのである。
形が単純であり、順序が先であっても意味からすると、むしろ、これこそ究極のものであり、まったきものであるように思えたのである。
真言密教というものはつづまるところ、「お大師様に導かれて、お大様に達すること」また、「お大師様から入って、お大師様に抜けること」の他ではあるまい。
遍照金剛になりきることが、その極致であるに違いない。
10日の間、私の住まっていた居間は、ものさびた静かな部屋で、その欄間には「住光」と書いた素朴な額がかかっていて、私をいつも見守っていた。
実に真別処全体が平和な寂光の中に息づいていた。周りの一切のものが私を光へと導いた。私は光を求め、光は私に訪れた。
遍照金剛の信仰はこの「光」の中に生くることであるのだ。
大師念誦は念仏宗の匂いがすると言って、この行き方に幾分気兼ねする人もあるようであるが、私から言うと念仏も広くは念誦のうちに過ぎない。
そして念誦は真言密教の眼目であり、お大師様はその本尊様であるから、私達が「大師念誦」するのには何の気兼ねも、また何の躊躇もいらないはずであると思うのである。
続く
※原文中に「ねんじゅ」などが「かな」だが、分かりやすいように一部漢字に改めた。()内は大森が加えた。

神代峻通師 近影
本文写真とも『神代峻通講話集』 神代峻通講話集刊行会刊(高野山出版社内) 昭和35年8月10日発行より引用