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木喰五智館参拝記

宮﨑県にある木喰上人が作った五智如来に参拝されたTさんのレポートです。
木喰上人は生涯に4回の回国修行されてますが、その第三期に宮﨑にて国分寺の再建を成就しています。

◆身延町地域資料◆ 木喰上人 ≫ 木喰上人の足跡

いつか参拝したいですね。大森
 
こんばんは、宮崎県の〇〇〇〇です。いつもお世話になっております。
宮﨑県にある木喰上人様の五智如来館参拝しました
 
 
その前に小話に過ぎないのですがご報告までに。前日の27日の晩にお風呂から上がってテレビを点けたところご飯系のドラマが放送されていたらしく狐霊塚と稲荷寿司がすぐに出たので明日は吉祥なり〜と楽観的に思っておりました。
 
 
Googleマップをナビにして五智如来館に向かったのですが、Googleマップは入り組んだ道だと上手く分からない場合があり遠回りになってしまったところ大きな鳥居が見えたので丁度だし参拝しようとなり参拝させて頂きました。
 
 
そのお神社様が三宅神社様です。
三宅神社様が当時の日向国府の所在地とみられ、神社名並びに五智如来館の住所を含めた地名の三宅の由来は古代の屯倉(みやけ)があった事によるそうです。上記の全ては後から知った事でして、これから木喰上人様の五智如来館様へ参拝させて頂きますので宜しく御願い致しますとまず最初に挨拶出来たのが非常に幸いで御座いました。これもお導きだと思います。
 
 
五智如来館様から直ぐ近くなので、もしや木喰上人様も参拝されてたのかなとも思いました。何か気になると境内奥の左側を見ると赤い鳥居の古い末社があり、もしやと思い向かったところ稲荷大明神様の木札が祀られておりとても喜びました。
 
 
何故か一般的な神社様の割には龍の彫物と如意宝珠の彫り物が目立ち、不思議で帰ってから調べてみると宝珠は潮干珠・潮満珠(しほひるたま・しほみつたま)等と言いまして、海の満ち引きを自在に操る事が出来る宝珠で、古くは山幸彦様が海幸彦様を屈服させるのに用いた大綿津見神様から授かった宝珠らしいです。またこの宝珠は宇佐八幡三柱であられます神功皇后様の三韓征伐でも出てきます。色々と勉強になりました。
 
予定にはなかったのですが帰りには宇佐八幡三柱神を正祀とする昔からお世話になっている綾神社様にお参りさせて頂きました。
 
さて国分寺奈良時代聖武天皇により鎮護国家のため一国一寺建立の詔が下され、奈良の東大寺を総本尊とし宮崎県には国分尼寺がこの現、西都市三宅に741年から756年の間に建立されとされています。国分寺建立の詔は、天平13年(741年)3月に諸国に発せられ、各国に国分僧寺国分尼寺を建立し、七重塔を建て、天皇が写した経を塔の中に納めるように命じ、聖武天皇は、これらの詔書を通じて、世の平和を願う思いを込めていました、とされています。
 

古代日向の都なる西都原の古墳群が近く、そのためこの場所に建立されたのかなと思います。五智如来館様への道のりを迷い呼ばれてか?偶然行き着きまず最初に参拝させて頂いた三宅神社様が当時の日向国府の所在地とみられ、神社並びに地名の三宅の由来は古代の屯倉(みやけ)があった事によるそうです。上記の全ては後から知った事でして、これから木喰上人様の五智如来館様へ参拝させて頂きますので宜しく御願い致しますとまず最初にご挨拶が出来たのが非常に幸いで御座いました。これもお導きだと思います。

 
木喰上人様は天命8年(1788年)4月に四国より豊後を経てこの地(当時の三宅村日向国分寺)にたどり着き、地元住民に求められて寛政9年(1797年)4月までの9年間、日向国分寺住職となられ、日向国各地を巡鍚され彫像を残されました。ご住職となられました3年後の寛政3年(1791年)に国分寺が火災により焼失してしまい復興の大願を発され、木喰上人様彫像中最大作と言われる五智如来像を楠の木の大木を用いり彫られたとの事です。また西都市の妻恵比寿宮には木喰上人様が彫られた恵比寿様が御神体となられており、他にも多数の彫像が残されているとの事です。

 
日向国分寺跡・木喰五智館境内は全体が綺麗に掃除してあり清々しく、この場所で歴代の僧侶様方も木喰上人皆様も修行され、樹齢およそ800年の銀杏の木は生まれてこの方色んなものを見てきたのかと風情に浸りました。
 

木喰上人様がこの銀杏に龕を作り自作の小さな像を祭り[この樹生い育ち、樹皮が龕を包みこんだ時、我、再び世に現れん]と告げてこの地を去られたと言う言い伝えが残っております。穴が写真で撮らせて頂いた穴なのかは不明でしたが、何ともロマン溢れる伝説でした。銀杏の実が沢山落ちていたので雌木の様で、手前にもう1苗大きめの銀杏の木が生えています。
 

お堂も全てが人々の信仰の現れと感じ、中は温かい印象と木の良い香りに満ちておりました。御供養のためにと思いお線香や灯明を持参していたのですが、火気厳禁でしたのでお供えは出来ず変わりに御賽銭を多めに入れさせて頂きました。

木喰五智館



 
圧巻の大きさであられ高さ3メートル前後あるそうです。五智如来像は寛政4年(1792年)から寛政6年(1724年)の2年間の間に寄木造で制作されたとみられ、それぞれの背部に制作された年数が記されていましたが墨書き等は経年劣化により判読出来ないらしいです。一番左側に鎮座されておられます宝生如来様の背部にはクワン世ィ四子ノ八月15日 作 木喰と彫られてあり館内に展示されている写真で拝見出来る様になっております。

 



 
五智如来様なのに阿閦如来様ではなく薬師瑠璃光如来様になっているのは現世利益、衆生救済のためのとみられているようです。いつも見ている木喰上人様の万徳円満なお顔の像ではなく、パッと見て訝しめておられる様な?衆生救済を考え込んでおられる様な感じもする御顔であられるのに驚きました。脳裏に焼き付きやすいのか?個人的には思い出しやすいお顔をされていて有り難いです。

 
釈迦如来像だけは青い色料がまだ少しだけ残っており、いつ塗られたのか?元々塗られていたのか?が気になりましたがそれについては館内では表記がされていませんでした。

 
YouTubeの宮崎ケーブルテレビの特番では造られた当時は赤・黒・紫・緑等の彩色が施されていたと放送されており、この番組では榧の木の寄木造りとも放送されています。以下がURLです。
 
https://youtu.be/U5wunMq1UOk?si=NNDhmeH4whd250ro
 
 
以下URLは「木喰上人と平岩地蔵尊
https://youtu.be/5gB-vqtQfEs?si=vGn_8AsARKgigp58
 

木食上人作 阿弥陀如来
 
善龍庵、大森義成先生の法話等でもいつもお世話になっております等の挨拶をさせて頂き、恐縮過ぎまして光明真言金剛経四句偈だけをお唱えさせて頂きました。お堂内部はかなり声が響くので驚き、仏像のスケールと言い何だか宇宙を感じました。大きめのお鈴等がありましたのでお勤めされている方なりがいらっしゃる様です。

木食上人作 大日如来



 
(木喰五智館は日向国分寺跡の一部敷地内に建立されており8:30~17:00まで 〒881-0005 宮崎県西都市三宅)
 
(日向国分寺跡 住所 〒881-0005 宮崎県西都市三宅3216−5)
 
 
 



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