神仏に参拝するようになったのは、ご利益ほしさ。
多くのひとが、はじめはそうであると思う。私もそのうちの一人。
慈雲尊者もそれは密教に入るための門であると説いている。
(故人の供養から信仰に目覚めるときもある。あるいは純粋にその雰囲気が好きである人もいる。当初から精神的なことを求めての方も当然いる)
不思議なことに、お参りを続けていると、だんたんとお願いすることが少なくなってくる。
お参りすることが楽しくなる。すると信仰に関心が出てくる。
頼むばかりだったのが、神仏と向き合うようになる。
次第に神仏とともにあると感じてくる。
苦楽順逆ありといえども、神仏と同行二人。
さらに、感謝の念がわいてくる。
報恩謝徳のこころも芽生える。
願望成就のお礼参りから、ただ日々のご加護への感謝のお礼参りへ。
さらには、日々、どう報恩するかと考え、行動するようになる。
さて、私も残りの人生、報恩謝徳に精進である。シリソワカ。
