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ショート・ショート#37 ~1枚の写真でたどる列車旅の記憶~

こんにちは、GreenFielderです!

ここ1~2週間で、世間では色んなニュースが世界を、日本を、駆け巡りましたね。

トランプ政権は、珍しく(?)大統領選での公約を破って他国紛争へ介入してトランプ派内で分裂が起きたり、日本では「重大なコンプラ違反で芸能活動停止」事件があったり、「世界の長嶋」がお亡くなりになったり。

でも今回は全然関係ないテーマです(笑)

昨日、るーさんの記事を読んでコメントを書いているうちに、ふと昔の列車旅の記憶が蘇ってきたのです。あの甘酸っぱい青春思い出が・・・

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皆さん、ご自身の若かりし頃の写真ってずっと大切に保管してますか?

私は、自分が小学生くらいの頃からの写真、手紙、その他思い出の品はずーーっっと保管しています。

以前のコチラ☟の記事にも書いたと思いますが、米国赴任前に妻から「断捨離」指令が出て、蔵書は泣く泣く多くを処分したのですが、上述の「思い出の品」はほぼ捨てることなく米国に退避させてきました。

onedayhike.hatenablog.com

日本に置いてこなかったのは、「妻に勝手に処分される恐れがあるから」というのもありましたが、「妻には見せられない結婚前の甘酸っぱい思い出の品も入っているから」ということもありました(笑)

で、何故急にそんなことを思い出したのかというと、上述の通りるーさんの記事を読んで、学生時代の甘酸っぱい列車旅のことを思い出してしまったからです。

るーさんに「日本の列車旅って良いですよねー」なんてコメントを書いたら、昔学生の頃に列車旅が大好きで、「青春18きっぷ」を買って、夏休みに鈍行列車に乗って一人旅をしていたことが急に思い出されました。

そして、当時の幾つかの列車旅の中で、一番記憶に残っている旅があるのです。

その記憶は、この1枚の写真から呼び起こされます。

1枚の写真

1990年8月の印字があって、背景には「ようこそ糸魚川へ」と書かれた看板が写っているこの写真、他の人から見ればこの写真はたわいもない記念写真だと思われるかもしれませんが、私にとってはとっても重要・大切な思い出の写真なんです。

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私は小学生の頃から列車に乗るのが好きで、当時栃木県にあった家から石川県のおじいちゃん・おばあちゃんの家まで、2歳年上の姉と二人だけで電車に乗って訪れたこともあります(もちろん家の最寄りの駅までは両親が、到着駅からはおじいちゃん・おばあちゃんが、それぞれ送り迎えをしてくれました)。

その後、高校で山岳部に入り、世の中に「青春18きっぷ」なるものが存在するのを知りました。山岳部の夏合宿はかなりの遠征になりますが、その際は当時5枚綴りだった青春18きっぷを部員・顧問で分け、往復はひたすら鈍行で最寄りの駅まで向かうのです(その際重宝していたのは東京発・大垣行きの夜行列車でした)。

この5枚綴りのチケットの1枚ずつが「1日有効乗り放題券」となっていて、全部で11,000円くらい、つまり1枚当たり2,200円程度です。そして、上述の東京発・大垣行きの夜行列車を使って(日を跨ぐのが横浜駅付近だったので、そこまでは普通切符を買い、そこから青春18きっぷに日付印を押してもらう)うまく乗り継いでいくと、たしか中国地方くらいまでは到達できたはずです。

この青春18きっぷを知ってからは、いつも夏にはこれを購入して、おじいちゃん・おばあちゃんの家まで鈍行列車で遊びにいったり、時には九州まで一人旅したりしていました。

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そして1990年の夏、埼玉県にいた高校生の私は、山岳部の夏合宿後に一人で石川県に向かうことに。ルートはたしか、当時まだ繋がっていた信越本線篠ノ井篠ノ井線で松本、大糸線糸魚川北陸本線で小松、という感じで向かっていたはずです。

私が大糸線の列車に乗り込むと、少し小柄な、でも爽やかで美しい女性が一人でボックス席に座っていました。当時男子校で、女性にものすごく奥手だったはずの私ですが、この時はきっとハートに稲妻が走ってしまったんでしょうね(笑) 「すみません!座っていいですか?!」と言ってボックス席のはす向かいの席に座ったと記憶しています。別に席はガラガラだったんですけれどね(笑)

私はその女性にいろいろと質問をしました。分かったことは、①現在東京の大学に在学中、②大学院をめざしている、③実家が富山で今は実家に帰省しているところ、ということでした。これが分かった時点で、この女性と富山まで時間が過ごせることが確定し、気分は有頂天、そして夢のようでした。

おぼろげながら、彼女は最初は苦笑いしながらも、弟に接するように会話をしてくれたように記憶しています。途中からは私のことについても色々と聞いてくれたような気がします。

上掲の写真は、大糸線の終点、そして北陸本線への乗り換え駅である糸魚川駅の前で撮影した写真です。

実は、この時のことは今でも覚えてるのですが、私は初めからこの女性の写真を撮りたかったんだと思います(ちなみにこの時持っていたのは「写ルンです」だったはず)。

でも、

私「あの、記念写真撮りたいんですけど・・・」

女性「あ、じゃあ私撮ってあげる!」

私「・・・・」

その時は、「いえ、あなたを撮りたいんです!」とは言えず、言われるがままに一人の写真を撮ってもらいました(その写真も残っています 笑)。でも、どうしてもそれだけでは後悔する、と思ったのか、そこで勇気を振り絞って

私「あの・・・二人の記念写真を撮っても良いですか?!

女性「へ?・・・・あ、うん、良いよ!」

と、二人の写真を(きっと誰かに)撮ってもらうことができたのです。

その後、女性が富山県内の駅(どの駅だったかは記憶にないですが)で降りるまでの間に、名前と住所を教えてもらい、そこで私の「めくるめく時間」は終わったのです。

彼女と記念写真を撮った写ルンですは、フィルムを使い切る前にDPE(フィルム現像・プリント店)に持ち込み、プリントをゲットしたのは言うまでもありません(笑)

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実は後日談もありまして、私はダメ元で教えてもらった住所に手紙を出しました。「撮った二人の写真を送ります」という態にして、とにかく手紙を送りたくて。

そして、勝手に返事を期待して学校から帰宅してはポストをチェックする日々でしたが、一向に返事は来ず、諦めた数か月後に突然返事の手紙が来たのです。

「忙しくて返事がなかなか書けなくてごめんなさい」という書き出しから、達筆で丁寧な文章が書かれていて、私は食い入るように読みました。

そして、更にまた手紙が欲しくて、今度は「大学受験に当たってのアドバイスをお願いします」という態で再び手紙を書きました。

こちらもかなり時間が経ってから返事がきて、自らの大学選定の仕方や参考にした情報源などが、丁寧に書かれていました。

そんな恋心も、数年後に結婚の便りをもらって脆くも崩れ去りましたが(笑) この1990年夏の列車の旅は、色々な意味で記憶に強く残っています。

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その後大学生になっても列車での一人旅はしたことがあるような気がしますが、後にも先にも旅の途中で女性に声を掛けたのはこの時以外はありません。あの時は何故あんなに勇気が出たのか今をもっても分かりません。

 

ということで、私の甘酸っぱい青春の思い出話は終わりです。

でも、この記事を書くに当たって昔の写真を引っ張りだしてみたのですが、やっぱり写真って自分の薄れていく記憶を再び色彩をもってクッキリ思い出させてくれる、素晴らしい道具ですよね。

私は単身赴任中は殆ど人の写真は撮りませんが、日本からLINEで送られてくる家族の写真は大切に保存しています。やっぱり家族の写真は子供達のためにも大事に残しておいてあげたいからです。

 

皆さんには、「青春の思い出」の写真がありますか?

若い頃の記憶に残る列車旅はありますか?

 

最後までご覧頂きありがとうございました!

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