こんにちは、GreenFielderです。
メモリアルデー連休の土曜日、スミソニアン航空宇宙博物館の別館である、Steven F. Udvar-Hazy Center(以後「別館」)を訪れました。
Steven F. Udvar-Hazy Center | National Air and Space Museum
きっかけは、日本からの出張者(それなりの幹部)が週末を跨いで滞在することになり、ホテルにいても暇だろうからと、土曜日にこちらへの訪問を提案したものです。
私は2000年代に一度出張ついでに訪れたことがありましたが、それ以来訪れておらず、2月に息子が来た際も息子だけドロップオフして自分は見ていないので、自分にとっても良い機会になるかな、と、出張者のお付き合いをすることに。
(ちなみに息子の2月の訪問記事はコチラ☟)
別館を訪れる際に、自らに別の課題を課しました。
それは、「新たに購入した単焦点レンズ縛りで中の様子を撮影すること」。
購入したのはOM Systemの20mm F1.4という明るい単焦点レンズです。

先日娘に星空写真や野鳥写真を送ったら、「今度は街の写真も撮ってよ!」と返され、不得意分野ながらも自らを奮い立たせるために「街撮りスナップ用単焦点レンズ」としてレンズを買い、モチベーションに繋げよう、という魂胆です。
(単に買い物の言い訳にしたとも言う 笑)
そして今回の別館訪問をその新しいレンズでの試写・練習の機会とすることにした、というわけです。他のレンズに逃げないように、そして荷物を極力小さくするために、他のレンズは持っていきません。
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当日の朝、出張者をホテルへ迎えに行き、そこから約10分の運転で別館に到着。ほぼ10時の開館と同時に中へ入ることができました。
ちなみにスミソニアンは入館料が有りませんので、掛かるのは駐車場代の15ドルのみです。
この日はメモリアルデーの連休初日ということで館内の混雑を予想していましたが、開館直後だったこともあり、まだ比較的空いていました。
出張者とは、1時間半後に入口付近のインフォメーション・カウンター前に集合することとし、個別行動をすることに。
航空機が誕生したばかりの頃の機体から始まり、初期の旅客機、軍用機、実験機、ヘリコプター、等々多くの展示品を見て回りました。




そして、奥には宇宙開発関連の展示が。

宇宙開発競争で当時のソ連を圧倒し、他国を寄せ付けない科学技術力がアメリカ国民の誇りだった時代の名残り、とでも言いましょうか。

しかし、私にとって一番気になったのは、「エノラ・ゲイ」号の展示です。

最近も、機名の「ゲイ」がDEI(Diversity, Equity, Inclusion)用語に当たるとのAI誤認により国防総省のホームページから削除されかかったとかなんとかで話題になりました(実際には機長・ポール・ティベッツの母親の名前にちなんでいる)。
日本人ならばこの機体の名前は知らない人はいないでしょう。

元々特殊任務部隊の12番機だったが、
カモフラージュのため
一般部隊の82番機に変更
広島に世界初の原爆投下を行ったB-29爆撃機であり、日本人にとっては戦争の残酷さの象徴、アメリカ人にとってはまだ大半が「原爆は戦争を早く終わらせるために必要だった兵器」と認識されています。

当初の特殊任部部隊の識別記号
(〇に左矢印)を一般部隊の
識別記号(〇に"R")に
カモフラージュした
このエノラ・ゲイ号は、元々は1995年にDC本館で展示をする計画でした。最初の計画では、飛行機の展示だけでなく、原爆被害の写真や資料なども展示する予定で、その際には、当時の広島市も各種展示物で協力することになっていたそうです。
ただ、この計画が明るみに出ると、アメリカ国内で多くの反対意見が出て、結局展示は機体のみで、原爆被害等には一切触れない内容となり、更に計画した当時の航空宇宙博物館長が辞任に追い込まれる事態になったそうです。
その後、2003年に別館が建設されたことで、エノラ・ゲイ号は別館での常設展示対象になり、現在に至ります。


日本とアメリカ、二つの国の中でのこの機体の意味するものについての認識は、まだ開きがあるように感じます。
でも、少なくとも「どちらに寄るでもなく中立な立場で」展示されているこの機体。その持つ意味は、それぞれの国民がそれぞれの子孫に引き継ぎ、少なくとも「それぞれの立場で意見が異なる」遺産である、ということは、子供達に伝えていかなければならない、と思っています。
最後までご覧頂きありがとうございました。