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メリーメロメロチェンソーエッジ

グーテン、十二月を過ぎると十三には吐瀉物が落ちている、啄むカラスが低く飛んでいる、仕事の用事で彼の地を訪れる度にそんな事を思う訳だが若干のポエミーを含んだフレーズをケンゴマツモト構文に仕立て上げたいなどというこの願望の浅ましさ草超えて蔦、コンクリートに根を張りボロボロにしてしまうその力強さが年々恐ろしく、手を変え品を変え僕らを絡め取ろうとする世間を重ねる始末、通勤電車でチョモランマトマトを聴き直す年末、これがチェンソーマンの劇中で流れて欲しいと願う自分は何の悪魔を最も恐れるんだろう、はたまた自身は何の悪魔なのだろう、などと。


謎のプレイはさておき、公開初日に「エディントンへようこそ」を観たんだけど感想を書き残す気力が本日までなかったので少しだけ書いておきたい。

コロナ禍でロックダウンしてしまった閉鎖的な田舎で巻き起こる私怨発端の選挙戦及びそんな場末すらも飲み込んでしまう情報化社会の荒波を皮肉とユーモアたっぷりに描いたこの作品は、面白かったと思うんだけど「ヒットする要素がどこにあるんだろう」とも思ってしまう生々しい痛々しさ。

自分の主張は聞いて欲しいが人の話は聞きたくない社会がコロナ禍で明確になったよね、と思い出話をしているみたいな映画だった。

真実そっちのけの言葉選びでバズるタイミング次第で狡い奴こそが正解者になれる現実を嫌味を大盛りトッピングして味わえたんだけど、難解な味でレイトショー向きだなと思いながら観た。

過激な主張の大半は陰謀論みたいなものだなと感じつつ、真面目に生きててもそういうのに流されたり撥ね飛ばされてしまったりするし、自分の都合で怒ってるだけなのに代弁者ぶってる人ってやっぱロクでもないなぁと痛感する映画だった。

「私たちは」とか「社会が」「有権者が」じゃなく「私は怒っています、皆さんはどうですか」でせめてあってくれというか。そんな事を延々と考えさせられてクタクタになった。

それにしても最近の映画はグッズにTシャツがよく売っており、ついつい購入してしまうんだけど、価格もサイズもオーバーサイズ気味で高い代金を支払って大きなサイズを当てがわれてきた中高の制服を思い出してしまう。どうせ大きくなるんだから、と言う親や店員さんの声が聞こえる。もうならないと言うのに。


映画の話どこに行った?


またー。




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