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猗窩座のひとり言

アニメのオープニングやエンディングを妄想したときに意味不明な唐突なダンスがカットインするかどうかで明るさが解る、という自論を展開しているが、そもそも妄想してる時点で性格が暗めなのでその差異はほぼグラデーションの範疇という悲しい現実に気付いた。
本当に明るい人間はオープニングやらエンディングのカット割を自力で考えたりしなさそうであるし、ユニクロで買ったコラボTシャツを自意識抜きで着れてしまうだろう。
こんなグズグズと物事を考えている人間には考えられないスカッと感で日々を自然と回せる訳で、己の感性やら言葉選びの射程の狭さを勝手に痛感していたも簡単に凹んでしまう。
本当の覇権というのは分母という結果論よりも先に何となくでそこそこの層が形成できちゃうポピュリズムあってこそなんだろうなと思う。
何の話や。


コイツは猗窩座かも知れんという美学とそれに伴う破滅っぷりをミニ四駆のようにコースをグルグルと超速で回る友人が東京から急に遊びにきたので呑み食いをし、太陽の塔の内部見学やら観覧車に乗って共に過ごした訳だが、陽キャの権化、体育会系御用達のWANIMAが「ともに」と歌っているのは流石に凄いなと改めて思った。もう「一緒に」でいいはずなのに「ともに」を選ぶその鋭さ。マジで微塵も恨みもなければ嫌いですらないが、その根こそぎっぷりは尊敬するまである。
話が逸れた。
猗窩座な友人が呼び起こす圧倒的な力という視点でのポップネスがそうさせたんだと思う。
友人はここ数年でお笑いに目覚め、M-1という頂き、ほぼチョモランマな賞レースの採点基準を土台にお笑いを自然と見てしまう賞レースネイティブとして自我を確立しているようでビックリした。

猗窩座が採点基準からお笑いに目覚めたら令和ロマンの量産である。心底面白い訳だが、あの間合いしか正解でない世の中はヤバ過ぎる。30秒でサビに到達する世界としてのロッキン界隈を嘆いた頃が遥か昔に感じられるファスト感である。ひー。
それにしても東京の人は歩くの早い。
東京で生活する人、と言うのが正しいのだろうか。
歩くのが単純に早いし、その速度のままスマホに触れられちゃう余裕がある。
歩行速度に関して、自分は早い方だと思ってたからこそ驚かされるくらい置いていかれる。
まるで部活で自分はサッカーが上手いと思ってたにも関わらず大会に参加したらエグいスピードで走るやつが足に吸い付くようなドリブルしてるのを目の当たりにしたかのような衝撃があった。
何にしても楽しくはあったが、何かよう分からん部分で自身を憂いてもおり、どこにいても何らかの地獄というのがあるのだなぁと思うに留めた。
ちなみに彼と乗った観覧車が2日後に雷の影響で9時間運転停止、乗客が缶詰を喰らうという事故に見舞われ、別日の同じくらいの時刻に乗車していたので運というのはやっぱ存在するんだな、と思うなどした。


またー。




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