「Qoo10メガ割」ってずっと聞いてる気がする。そういう鳴き声か?くらい頻繁に聞いている。
単純に開催期間が祇園祭くらい長いのか、ユニクロのセールくらい頻繁に開催されているのか、皆が本当に楽しみにしていて待ち望んでいるからなのか利用者ではないので解らないが、何とも楽しそうな響きで良い。
実態が知れない身分だからこそポジティブに捉え過ぎている可能性はあるが、YouTubeの広告なんかで見かける度にお祭的な明るさを感じ取っている。
それはそうとART-SCHOOLの25周年トリビュート「Dreams Never End」を聴いて驚かされた。色々なアーティストがカバーしていて、どれもとても良く、ずっと彼ら(というか木下さん)を哲学者みたいに思っていたんだけど、どっちかっていうと数学者だったんだ!と感じた。
木下理論とも言える楽曲の構成(パン、パン、パーン!的な)はどんな解釈やアレンジにも映える公式で、それを生み出したART-SCHOOLの恐ろしさを25年も経って集ったアーティスト達から教えられた。
カバーしたアーティストも凄いんだけど、圧倒的に公式が優れているので代入し放題というか。
個人的には随分と違う歌詞を書くindigo la endとまろやかさにどれだけ尖りっぷりを仕込めるかに熱を注ぐリーガルリリーが本当に素晴らしくて大好きだったんだけど、THE NOVEMBERSなんかもうこれでフルアルバム作って欲しいし、「愛されたいなんていうなの幻想消去して」のsyrup16gが愛されたがりなART-SCHOOLを歌う事で「やー、まぁ、気持ちとしては大体一緒ッス」みたいになっているのも愛おしかった。
LOSTAGEみたいなクラフトコーラみたいな存在もPEDROみたいに外へ挑んでいくアーティストにも開かれた不思議なバンドなのだなと新鮮に感じながら聴いている。
蛇足もしくは自分語り乙、とは言え何故かパーソナル懐古と紐付けられたアーティストや作品というものはあるもので意外と人生における特異点ですわ!みたいなものがソレとも限らんという意味でART-SCHOOLが自分の中に"在る"のだと思う。(この言葉選びから何が始まってしまったのかは察してほしい)
下北沢が音楽や古着や演劇やの文化的な中心地という事も知らない中学生が「何かMステと比較して暗めのバンドばっか集う聖地みたいな場所があって、それが下北沢とかいう名前の街らしい」という認識で年に数回しか行けないタワレコの視聴機に添えられたポップから学んで、とりあえずその地名で紹介されるバンドを片っ端から視聴していた。買うお金はなかったのでタワレコで名前を覚えて地元で一番デカいTSUTAYAに行って気まぐれに入荷されている作品(50作品のうち1、2作くらい)をお小遣いで借りて聴いていた。
高校生になってようやく少しずつ買い始められた時は嬉しかった。
それにしても聴き方が下北沢か否かなのが「北海道の食べ物なら何でも美味い」みたいなガバガバな認識なのが今となっては気になるが、東京にも下とか北とかあんのかね、ていうか北は上ってイメージだけど下で北なのは上の下って事?などと地理の授業受け始めた子供のような事を思いながら色々聴く中で一番「東京かも知れない!」と思ったのがART-SCHOOLだった。
今になって思うと東京っぽいというよりは映画に近い音楽性で、そうやって目的を持って研ぎ澄まされた物語=洗練=東京という連想がそう位置付けさせたんだと思う。未だに東京は映画の世界だと思っている節がある。
何にしても余分なものはなく、愛されたいんすわと言葉を尽くす(それもMステが決して選ばないであろう言葉で)ART-SCHOOLは僕にとって東京の格好良いバンドであり続け、数年に一度無性に聴きたくなる。
そんな位置付けの存在が25年続いているのはヤバ過ぎ。普通とっくに潰れて思い出に変わっているはずの店がそのまま営業している様。
幻よりも幻っぽい現実というのはもういっそ神々しい。本当に幻になるまで続いて欲しいと勝手に願ってやまない。
蛇足の蛇足だけど、未だに東京の芸能人がコンビニで買って食べているものと自分がコンビニで買って食べているものが違う味がしているんじゃないかと思ってしまう節があり、全然良い物を自分で食べられるようになっても「首都のが凄い観」が失われないのが凄い。まあ凄いのは自分はどこまで行っても洗練されんと思い込んでいる自我の強固さなのかも知れないが。
お気に入りのカフェでお気に入りのプリンと浅煎り(と書いてあったが何が浅いのか解らず、とは言え美味い)コーヒーを飲みながらこれを書いているが、これはこれで特別であるものの、首都側の世界線も共存しており、肯定感の低さは頑固さと紐付いているのだなと感じさせられる。
何の話や。
長過ぎるのでこの辺で。
またー。