信号待ちをしている交差点で、ワンボックスカーから音漏れするVaundyを聴きながら「令和になっても車から音漏れするんだな」「Vaundyってそういう楽しみ方をする人と自分の最大公約数かも知れない」とボンヤリ考えた。
前者はそんな事よりも優先される安全性や利便性があるだろうと思うし、後者はまぁそうなんだろうという感じもある。
歩きながら音楽的最大公約数方向の話で今年のコーチェラでジミーイートワールドがメインステージでライブをしていた事を思い出していた。
現在のアメリカの音楽シーンでゴリゴリにアメリカっぽいロックバンドがあそこに立つというのは結構不思議なんだけど、何やかんやメジャーリーグ中継などを観ているとスタジアムのBGMでロックバンドの曲が流れていたりするし、エンタメというより生活の土台にあるジャンルになったのかも知れないと思うと共に、エモという感情的で心情を吐露する表現スタイルは今っぽいのかも知れないなと思った。
ミスチルとかサザンも割と自分にとってそう遠くない触れ方になっている。
スピッツだけ異常に近くにいるようでいて姿が見えないのが冷静に考えるとちょっと怖い。
そんな事を考えながら散歩をした。
散歩をしていると気付くが、某新興宗教法人が旗振りする街路の清掃・植え込みのお世話の表示によく出くわすし、作業をされている方を見かけたりもする。
何の為にされているのか、単に徳を積むとか、イメージアップ狙いとか、別に聞いたことがないので解らないけれど、結果として良くして頂いている側面はあるのでポイ捨てする歩きタバコ民よりも同じ地域で生活している方々という認識が強い。
新興宗教自体にそんなに良いイメージはないが、祖父がハマっていたくらいで実害が無かった為に報道で見かける様な悪いイメージもない。
勿論、危惧されている問題(というより社会とのズレとその利用の仕方)についてはある程度理解しているつもりだけど。
何かどうこう論じたい訳でもなく、普段考えていないだけでかなり色んな手が入ることで生活圏の環境が成り立っているのだなとこういう点からも実感するよな、という話。
マクドナルドで朝マックを食べていると近くのテーブルの男性が持ってきた文庫本をスマホスタンドにしてスマホで動画を観ており、「書籍の敗北」というタイトルで切り取りたい瞬間に思えた。窓際で背中に光が射していてとても絵画的だった。
きっと動画視聴の後に読書をするんだろうし、自分も本を読もうと思って手元に置いたのにスマホを触っているなんて事が度々あるので「周りの大人も似たような事やってんだな」と思うと妙な安心感がある。
いつまでも自分が一番子供っぽいんじゃないかとか、そんな事はないと自覚していても思ってしまう時もあるので、情けない方面での親近感って割と薬に近いかも知れないと考えながらメガマフィンを食べたら具が多過ぎてズレ、マフィンだけ先に食べ終わってしまった。
大きめのハンバーガーというのは上手く食べるのに技術がいる。
洗礼を浴びた気分だった。
またー。