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異端者の家に回覧板を持っていく緊張感たるや

連休の始まりに大変重たい映画を観て、浮かれムードに対する謎のカウンター精神、自分は踊っちゃダメだと思い込んでいるんだろうなという哀れみを抱いたんだけど面白かったので良し!雑感を忘れないうちに書いておきたい。

 


映画「異端者の家」はA24配給作で、なんかこう理念がブレたとは思わないけど活動領域が広くなってきた故に思ってもない方向にも旗を立てるんですね的な驚きのある作品だったと思う。「ミッドサマー」とそう遠くないものの、この国は魚をフライにするけどこっちの国は天ぷらにするんだなぁというニュアンスの違いというか。

ファミレスやファストフードみたいに想像している味を食べに映画館に来ている訳ではないんだから寧ろ喜ばしい事だとは思っている。

 


あらすじとしては2人のモルモン教の宣教師が勧誘に訪れた家に閉じ込められ、信仰を試されるという話だった。

宣教師を閉じ込める家主のリードという男のイカれっぷりが、あらゆることを探究してきた結果、その仕組みの悪意に囚われてバグってしまった人という、知識を学習し続けて矛盾にぶっ壊れたAI的みたいな存在感で凄く怖かった。

ネタバレありきで書きたいので以下、スクロール避けの無関係な文章を挟んでおく。(毎度これが要る配慮なのか判らないけど)

 


最近映画って2000円とかするので気付いたものは前売り券を買うし、気力があればレイトショーに行ったりするんだけど、映画館の存続を願うのであれば2000円払った方がいいんだろうなと思うし、コーラとポップコーンとか買った方がより良いのだろうと思いつつ、映画館でものを食べる習慣がないし、飲み物も有難いんだけど結構量が多いので何も買わずに映画を観ている事の方が多い。

贅沢だけど常温のペットボトルの水とか売って欲しいなと思ってしまう。小さいペットボトル250円とか300円でもいいから。

テアトル梅田は待合が広いしカフェメニューがオシャレなので早めに行ってドリンクとスイーツに1000円くらい使ってから映画を観ていることが多いので(クッキーとかプレッツェルが美味しい)、単に自分が映画に対して他の要素を持ち込みたくない頑固な人間な気もしており、これは老いなのではと泣きたい気持ちになった。今。言語化することが正しいとは限らん。クライシスは身近にいくらでも潜んでいる。

 


話を戻してネタバレで書くと、「異端者の家」は宗教の役割と矛盾についてを豪速球で投げつけてくる映画だったと思う。

無宗教の人が普通に感じている疑問を信仰心のある人に突きつけるという構図は、無宗教な自分からすると「ちょっと聞いてみたかったけどここまで線でも」と退く感じだったけど、信仰している人たちからするとドン引きなんじゃないかと思った。

素人かつ無宗教な身からすると宗教の位置付けは「精神的な拠り所」と「他者との結束」にあると思っていて、前者の「精神的な拠り所」というのは自分ではどうも出来ない境遇を試練だったり来世への切符だったりと受け止める手段で、後者の「他者との結束」は個人主義の世の中にあって社会的に誰かと繋がっているという安心感や親愛の気持ちを持つことで救われるという面なんじゃないかと勝手に解釈している。

リード氏はこの前者を突き詰め過ぎてぶっ壊れ、後者が見えなくなってしまった狂人なのかなと感じた。

色々な宗教が似ていたり、ルーツが同じだったりするのにどの宗教も「俺たちこそが唯一の救い」みたいに各々説いており、どのボードに乗れば向こう岸に渡れるのか、客引きが多くてわかんねぇよ海外の空港のタクシー乗り場かよボラれそうと失礼ながら感じてしまう自分からするとリード氏が説く「宗教は時代によって適した(ウケそうな)形に再定義され、それがさもオリジナルですと売り出されている」という意見は割と「そうだね」となってしまう。

モノポリーレディオヘッドの例えは強引なんだろうけど実に解りやすかった。

ただ、他者との結束を度外視し過ぎているので「宗教とは人を支配するシステムのこと」みたいな答えに辿り着いて、それを証明するために凡ゆる宗教の宣教師を監禁して「俺の考えた最強の宗教=支配」を見せつけて宣教師たちの心を折ることで答え合わせとし、自身の正しさを信仰していたんだろうなと思いながら観ていた。

他所の庭に入ってこず、各々で信仰を深めていればいいのになと宗教が火種の一つとされる紛争を知るたびに感じるけれど、人間というのは自分が正しいということを証明し認めさせたい生き物なのかなとリード氏を観て改めて思った。

 


そんなリード氏に巻き込まれてしまったモルモン教の宣教師の2人は普通に不幸過ぎるが、自身の経験を踏まえて信仰を捨てずパクストンを励まし続けたバーンズと、迎合しても家を脱することに縋ろうとしながらバーンズとの繋がりから心を強く持とうとしたパクストンの姿は極限状態にあって素敵な関係性だった。

バーンズを失ったことで自分が折れたら彼女を本当に亡くしてしまうと奮起して進み続けるパクストン(結果として脱出ゲームではなく、させる気のない地獄であることが分かってしまうんだけど)と、リード氏の言う蘇りの軌跡を気合いで現実のものとしてパクストンを守ったリベンジャーのバーンズは凄みを感じた。互いを思う、という事を個人的にはここから受け取った。

ラストのシーンで何とか脱出を果たしたパクストンが冒頭で自分が亡くなったらこうなりたいと願った「蝶になり愛する人たちの指にとまりたい」という幻を見たのは信仰心の表れなのか、バーンズを思う気持ちが見せたものなのか、どっちもなんだろうけど美しいなと思いつつ、とは言えパクストンが本当に無事脱出出来たのかも判らない妙に明るい演出だったので全員アウトエンドの可能性もあるな、などと考えながら映画館を後にした。

 


改めて宗教の大きさと必要性も感じつつ、難しさというか、そこまで物事の基準として据える現実があることが自分からするとやっぱり不思議なんだよなと考えさせられる映画だったように思う。

 


またー。




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