ライブの雑感だけど曲がどうとか大森さんがどうとかすら殆ど書いてないので検索で来た方には申し訳ない。
欲しいものは何もないと思う。
じゃあ何を書いているんだと言われると、こういう人間も大森靖子聴いてるんだなぁという事実くらいなので、そういうので良い方は是非読んでくれたらと思います。
折角、たどり着いてしまったのだから。
【大森靖子@味園ユニバース(2025.04.10)】
仕事に追われ、満員電車に揺られ、観光客で混み合うなんばの街を足早に抜けて、ユニバース。
売り切れてるだけあって凄い列で、毎度のことだけど難波の街の明るさと対照的な思い詰めた一張羅というか、綺麗な百鬼夜行みたいな列の一員になれるのも最後なのかと思うとユニバースの閉館が寂しくなりつつ入場した。
OAはゆっきゅんで、ツヤツヤのキラキラの思慮深さに度々背中をさすられているので観られて大感謝だった。
一番好きな「プライベート・スーパースター」を聴きながら揺れていたら涙がにじんだ。
ここまででも十分来て良かったなと思っていたらあっという間に大森さんが登場してライブが始まった。
大森さんのライブの感想ってスマホで打ちたくなるの何なんだろうなと思いながらライブに行ったら「ミッドナイト清純異性交遊」の大半をお客さんに歌わせるというアヴリル・ラヴィーンが1stライブDVDの「Conplicated」でぶちかまして多くのファンを膝から崩れ落とした演出を、誰も不幸にしない愛おしい瞬間に転化してくれている時に「あ、これか」となった。アンダーグラウンドから君の指まで遠くはないのさiPhoneのあかりをのこして、これがiPhoneのあかりを細々と揺らしながらいつ寝落ちするかも解らないベッドの中、スマホで感想を打ちたくなる理由だった。灯台下暗し過ぎる。
大森さんのライブの感想が自分語りになってしまうのも繋いだ指が自分の経験を引っ張り出してしまうからだと思っている。
大森さんはメジャーデビュー以降、自分で培ったものを研ぎ澄ます作業と誰かが落としてしまったものを拾い上げで磨く作業を両方やってて、聞き手として後者がメインの時期は「自分から凄く遠い所を大森さんは掘っているんだな」と思っていたんだけど、弾き語りが一番強いという意味の解らない能力により「勝手に遠いって決めてただけだったんだなぁ」と心底思い知らされた。
こっちに見えるくらい高く、いつも磨いた石を掲げてくれていたんだなと思いながら新旧織り交ぜて抽象画みたいになってるスリリングなライブを観ていた。
アカペラで披露されたパワフルなTOBUTORIが発露!!!という感じで一番好きだった。
音源のバンドも滅茶苦茶良くて、ライブのバンドも滅茶苦茶良かったせいで薄れてしまっていた歌詞の強烈さがアカペラで猛威を振るっていた。飛ぶ鳥って不死鳥かよ。
良い事も悪い事も沢山あったメジャー期だったんだろうと思いつつ、日々の暮らしで度々抱え込んでしまう感情がちゃんと怒っていい事であると気付かせてくれるのは結局大森さんだったなとしみじみと考えていた。
それにしても歌上手くてビックリした。
勿論知っていたけど、更にというか。コントロール出来ているぶん回しっぷりに柳田選手や大谷選手のスイングが重なって岸投手のピッチングじゃないんかと申し訳なくなった。
それにしても大森さんに助けられた事、大森さんに楽しませてもらった事、大森さんに納得いかなかった事、色々あったけど結局戻ってきてしまう。
大森さんがMCでよく使う「自身のライブがセーブポイント」って言い得て妙。
誰かのセーブポイントであり続けた味園ユニバースが無くなって(過去のキャバレー時代だけでなく、上の階の飲食フロアも先に閉まっている)そういうセーブポイントと呼べる文化的なものってどんどん無くなっていくと思っていて、突き詰めると人間そのものがセーブポイントではあるんだけど、その人間がおいで!って手を振れる待ち合わせ場所が減っていくことの寂しさを感じながら会場を眺めた。
均質化される資本主義の利便性に滅茶苦茶恩恵を受けてる癖に贅沢な話なんだけども。
「それはそれ、とは言え僕は僕なので」という気持ちを忘れたくないうちはまた大森さんのライブに行くことになるんだと思う。
「私はこんな名前で生きてゆく 恥じる愛などない」という歌詞を思い出して、難波の喧騒に負けないように胸を張って帰った。
自分語り乙。
またー。