好きな人っていつも好きだし、苦手な人っていつも苦手だなあ、、、と当たり前の事を思う。私は考え方がフェアな人が好き。感情を駄々洩れさせない自制心のある人が好き。逆に、主観で依怙贔屓する人や、感情的な人は苦手。
あと話が明確な人が好きで、あちこち飛ぶ人や要領を得ない人は苦手。
でも、「主観で依怙贔屓し、感情的で、話があちこちして要領を得ない人」の事を、否定する人も苦手なのだ(笑)。否定したって無駄じゃん、と思うからだ。
私は上記の人が苦手だが、大きな声でそれは言わないし、ましてや小馬鹿にしようとはとは思わない。その人がそういう人である理由が歴然とあるから、その人はそうしているのだから。
主観で依怙贔屓するのは気分がいいだろうし、思いっきり感情的に振る舞うのはスッキリするだろう。人と話をする時も、相手が理解しやすいように整理して話すのではなく、自分が言いたい順番で言いたい事だけを自分勝手に話すほうが気分がいい。たとえそれが事実でなくても、気分がいい事だけを一方的に喋る。
だから、その人はそうしているのだ。それが自分にとって気分がいいから。

私は思うのだが、「自分を気分良くさせる」事って、ある種の依存だと思う。脳がその快感に依存しているのだ。麻薬のように、やめられなくなるのだと思う。
だとしたら、麻薬患者に麻薬をやめさせることが至難の業なのと同様、「自分を気分良くさせたい病」の人にそれをやめさせることは、非現実的な事なのだ。だから批判しても仕方ない。やめさせることは出来ない。
「自分を気分良くさせたい病」の人は一定数いるし、これも程度問題で、ある程度なら特に悪い事ではない。むしろストレス解消として割り切ってやる分には正しいかもしれない。精神疾患の方などでは、むしろ積極的に推奨されるだろう。
でも、日常生活それ一辺倒だとしたら、周囲は大変だ。そういう人の周囲の顔ぶれは、しょっちゅう入れ替わるだろう。同じ人がずっとそばにいる、という事はない。何故なら大変過ぎるから。結婚生活も続かないだろう。
同じ人達と長く付き合うというメリットは確かにあって、何より人生が安定する。生活も精神も安定する。そうなると、わざわざ「自分を気分よくさせよう」としなくても、日常的に気分は問題ない状態にある。
周囲の顔ぶれがしょっちゅう入れ替わると、精神的に落ち着かないので、「気分をよくさせよう病」に頼ってしまい、そうすると更に周囲から人が離れ、新たな人間関係を構築する必要が出て来て不安定になり、更に「気分をよくする」必要性に駆られる。つまりは悪循環。
だから。
他人様の言動をいちいち批判する必要はない。自分が動いたように人生は動いていくのだから。本当にとても当たり前に。他人様の在り様や人生に興味を持つのはいいが、口を出す必要はない。自然の流れに任せればいい。
というような事を、今日は朝からつらつら考えていた。
長い話で失礼しました。皆様はどうぞ良い日曜の午後を~

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