人を傷つける事で気分がスッキリするという心理について、今日は考えたい。
ある女性が、スーパーのレジで並んでいる時に、レジ横のお菓子を手に取って買うか悩んでいたそう。ふと見ると、自分の微妙に斜め前になる位置に、高齢女性がカゴを置いている。「え?」と思って顏を見ると、その高齢女性は「私、前でいいですよね」と言った。
とっさに「いえ、駄目です。後ろに並んで下さい」と言うと、その高齢女性は「でもあなた商品見てたし」と言う。「いえ、商品見てたといってもレジの列からは離れていませんから」と言い、ちょうど前の人のレジが終わったので、レジの台に自分のカゴを置いて順番を死守したところ、その高齢女性はどこかへ行ってしまったという。
これを聞いて私は、それで良かったやん、と思ったのだが、彼女はモヤモヤが消えないとの事。その高齢女性のものの言い方が気に入らなかったと。どうやったらこの心のモヤモヤが消えるか考えて、自分はその高齢女性に、もっとキツい言葉を投げつけてやれば良かったと気づいたと言うのだ。
例えば、「あなたのやっている事は横入りです。とても不快です。ちゃんと並んで下さい」ぐらいは言うべきだったと。それが言えたらモヤモヤも残らないはずだと。
その人は、今回の事だけでなく、こういう事がよくあるそうで、そのたびにちゃんと拒否はするのだが、後にモヤモヤが残るのは、相手に自分の不快さをもっと強く伝えないからだと言う。ちゃんと強く伝えていれば、もうこういう事は起こらないはずだと。

私はちょっと違うかなと感じた。
「相手を傷つける言葉を相手に強くぶつける事で、自分がスッキリする」というのは確かにあるが、それはとても幼稚な精神だと思うからだ。
そういう幼稚な心は、幼稚園の砂場に置いてこないといけないと思う。大人になってもまだ、自分の心のモヤモヤを人にぶつけないとスッキリできないという未成熟さを引きずっていると、人間関係に支障をきたす。
心理系の専門家の方だと、「言いたい事を我慢するのは良くない。全部言ったほうがいい」と仰るかもしれない。確かに、自分の心を満足させるには、言いたい事は全部ぶちまけてしまうほうがいいのは当たり前だ。
人間にはエゴがあり、「言いたい事を我慢しないで相手にぶつける」のは、自分のエゴを相手にぶつける事だ。
そうすれば自分はスッキリするが、他人のエゴをぶつけられた側は今後はモヤモヤすることになる。
不快な人間関係は、醜いエゴのやり取りから発生する。
最初に横入りしようとしたのは高齢女性のエゴだが、その高齢女性を拒否し自分の言う事を聞かせたにも関わらず、更にその高齢女性にキツい言葉を投げつけるのは不要な事だ。不要にも関わらずやりたいと思うのは、その人のエゴだ。やる必要はないのだから。
人を苦しめるのはエゴだ。エゴは心のゴミのようなものだ。苦しまない為には、そのエゴをなんとかしないといけない。一番簡単なのは、そのエゴというゴミを相手に投げつけてしまう事だ。自分の側にゴミがなくなるので、一時スッキリする。でも、ゴミは消えたわけではなく、相手の心に移動しただけだ。
他人のゴミを自分の心に捨てられるのは、大変に不快だから、相手は強い怒りを覚える。いずれそのゴミは、形を変えて自分に戻って来る。同じ人から返ってこなくても、別の人から、別の形で、必ず返ってくる。ゴミは永遠に、人から人へ投げつけられ続ける。

この醜い悪循環をどう断ち消したらいいのかと言えば、自分のエゴというゴミを、自力で処理するしかないのだ。相手の心に自分のゴミを投げ捨てるのではなく、自分で処理するのだ。自分の所で、ゴミの悪循環をストップさせるのだ。
そんな事したら、自分のところにゴミが溜まってしまうだけだ、と考えるのは間違っていると私は思う。なぜならそのゴミは、実は存在しないものだからだ。
他人に横入りされたが拒否が成功した、それでも「横入りされた」という事実にイライラが消えない。実際にそこに問題はない。ちゃんと相手に横入りをやめさせたのだから。それでもイライラが消えないのは、「横入りされるような隙が自分にあった。相手に舐められた。相手に馬鹿にするような言い方をされて腹がたつ」という気持ちがあるからだ。
舐められた事、馬鹿にするような口調で話された事で、自分のプライドが凹まされ、負けず嫌いが発動してイライラが発生したのだ。
だからその上をいくような、超絶馬鹿にしたような口調で相手に何か、相手が傷つくような言葉を言ってやりたいわけだ。そうすれば自分のプライドが満足するから。
幼い。とても幼い。だからいつまでも嫌な事が終わらない。心が幼いから、ちょっとした事でプライドが傷つき、イライラもやもやしてしまうからだ。ちゃんと成熟した精神を持つ大人なら、一瞬イラっとしてもすぐに忘れてしまうような些細な事に、いつまでもこだわり腹を立て続け忘れられないのだ。
本来は発生しないゴミを、自ら作っているだけだ。もっと言うと、ゴミを作っていると勘違いしているだけだ。ゴミなどそこに存在しないのだ。横入りされたから自分の心にゴミが投げ込まれた、と感じるそれは、勘違いなのだ。ゴミなど投げ込まれていないのだ。
エゴというゴミがあったとして、それを自分で処理するには、「神様ならどうするか」(いきなりスピ)と私はいつも考える。
神様ならこういう時にどうされるだろか?と。
横入りしてきた高齢女性に、不必要な不快な言葉を投げつけるだろうか。いや、そんな事は絶対にない。ただ黙ってじっと相手を観察し、少しだけ残念だと感じながら、次に進むだろう。残念だと感じるのも相手を見下しての思いではなく、純粋に残念、というだけだろう。神様が人間を見下す必要はないからだ。そもそも神様は人間の遙か上位に存在している。
自分の心のゴミをどうしたらいいか困った時は、神様ならどうするか考え、できるだけ神様がなさりそうな事をすればいいと私は思うのだ。
今自分に起こった事を「残念だ」と淡々と眺め、実際の問題がすでに終わっているなら淡々と次に進むのだ。
淡々と次に進めた時に、ゴミなどそもそも存在しないと分かるだろう。
私はこれを随分長く練習してきていて、最近記事にも書いたが、「世界と自分とに距離を置く」事で、より簡単にできると気づいた。
横入りしてきた人と自分とは無関係であると考えるのだ。実際、無関係だ。
その人から舐められようが、馬鹿にされようが、低く見られようが、その人は自分とは異なる世界線にいる。自分は横入るするような世界線にはいないのだ。存在する世界が違うのだから、その人と自分は無関係なのだ。存在する世界が違うので、その人がこちらにゴミを投げる事は出来ないのだ。
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