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母親の教えは正しいか

 私自身、発達障害の息子を良心的に育ててきたが「私の選択は正しかった」とはとても言えない。

 良心的でなくても良かった。ただ「正しい選択」さえしてやれば良かった、と今になってつくづく思うのだが、渦中では分からなかった。当時は、難しい問題や重要な案件ほど、正しい選択かどうかの判断がつかず、「より良い選択」を選んできた。しかしそれが間違いだった。むしろ「より悪い選択」をすべきだったのだ。なんなら、何も考えず、あみだくじで決めたほうがまだマシだったかもしれない。

 私の母親が、私にしつこく言ってきた事も、当時は素直に「それが正しいのだ」と信じて実行していたが、今になって分かる。全て間違いだったと。

 私の母は、難しい問題や重要な案件、正解が誰にも見通せない先の予想については、何も言ってくれなかった。母親がしつこく私に言ってきた事は、日常的な些事や、母自身のこだわり部分だ。母自身の感覚に沿う事が「正しい事」だと母自身が思っていたのだと想像する。人間みなそうかもしれないが。

 例えば、髪型、スカートの長さ、鞄の大きさ、持ち歩く荷物の量、新しい物は買っても使ってはいけない、一生出来る趣味を持つべき、否定的な事は言わずにごまかすべき、結婚はしないといけない、子供は作らないといけない、、、。

 幼児の頃から私の髪は短く切られていた。そのほうが母が扱いやすいかったからだと想像する。長くのばしたいと言っても、あなたには似合わないと拒否された。自分で自分の髪を扱えるようになってからも、私には長い髪は似合わないという母からの強力なすり込みが残り、ずっと短い髪を続けていた。短くすればするほど母に気に入られほめられると思い込み、ベリーショートにしていたほどだ。馬鹿だ。家を出て呪縛が解け、ずっと長い髪にしている。私にはそのほうが似合うのだ。

 鞄は小さく軽くないといけない。理由は分からないが、私が大きな重そうな鞄を持っている事が、何かしら母を不快にさせたのだとおもう。

 新しい物を買う事自体が「良くない事」だと刷り込まれたが、もし買ってしまっても翌日から使う等ということは絶対にしてはいけない。それは下品な事だと教えられた。新しいものを買っても何年も使わず保持しておく事こそ上品だと。でも一番良いのは、何も買わない事。今あるものを永遠に使い続ける事。

 私の通った幼稚園では、幼稚園バックは親の手作りと決まっていた。私は年少の時に母が最初に作ってくれたバックを、三年間使い続けた。丈夫な既製品とは違い、ペラペラの生地を素人ミシンで作ったものなので、最後はボロボロで汚くなっていたが、三年間使い続けた私を、母はことさら褒めちぎった。「新しいカバンを作って欲しいなどと言わなかったあなたは偉い」と。姉も同じ目に遭っていて、姉はいまだにその呪縛が解けず、大人になった今でも、バックを買い替えない傾向にある。一回買うと10年以上それ1つで通す。洋服は毎回新品の綺麗なものを着ているのだが、バックだけ買い替えない。使い込んで薄汚れて不自然なのだが、姉本人はその不自然さに気付いていない。でもそんな姉を母は「お姉ちゃんは良いものを買って長く使うから偉い」と褒めちぎる。いやいやいや、、、、普通の鞄だし、長く使うのも限界があると思う。そもそも姉が同じものを持ち続けるのはバックだけで、洋服はとっかえひっかえ新しく買うのだから矛盾しているのだが、母はそれには触れない。

 趣味がないと子育てが終わった後する事がなくなるから、若い頃から一生出来る趣味を始めないといけない、年をとってから始めるのでは遅すぎてものにならない。これもずっと母に言われていた。母はお稽古番長で、とにかく毎日何かしらのお稽古に出かけていた。書道、俳句、和歌、書画、洋画、ウクレレ、インテリア、茶道、華道、着物の仕立て、懐石料理、洋食料理、まだまだ沢山あるが忘れた。テニスやヨガ等の運動系も少ないながら行っていた気がする。母は、とある新興宗教にも一時期傾倒しており、通い詰めてもいた。いくら専業主婦でも、やり過ぎではないか。

 今思うと、母は、外にある面白そうなものに次々と飛びつく事によって、日々を充実させ、他人に対して優越感を感じよう、としたのかもしれない。私も専業主婦だが、母のように毎日毎日お稽古や宗教に通いたいとは全く思わない。そういうものが今母に何か残っているかと言えば、何も残っていない。家で懐石を作ってくれた事も一度もない。あれだけ通っていたのに、今はその宗教のしの字も言わない。

 あと、否定的な事は言わずにごまかすべき、というのも母の強力な教えだ。例えば私は少ない回数だがお見合いをしたが、このご縁はお断りしたいと私が言っても、母は絶対に断りの電話を入れてくれなかった。相手から次回のお誘いが来ても、行くか行かないか返事も返さない。返事しないほうが失礼だと私は思ったが、母は「こういう事は、こちらからハッキリ言わないほうがいい。相手に察してもらったほうがいい」と言い、うやむやにして気持ち悪く終わらせようとしていた。毎回だ。それが嫌で私はお見合いはしなくなった。

 まだまだあるが、母が私に押し付けてきた教えは、全て、個人個人が決める自由のある事ばかりだった。

 そうやって私から「自分の事を自分で決める楽しい自由」を奪っておいて、「これは親も一緒に考えて欲しい」というような重要な案件については、全く何も考えてくれなかった。一緒に考えてくれるなど、望むべくもなかった。「自分で考えなさい」等と言われた記憶すらない。そもそも、子供の手に余るシビアで重要な案件について、母に相談するなどという「恐ろしい事」は私には出来なかった。母はそういう事を相談できる人ではなかったからだ。

 なぜ?と聞かれたとしても答えに詰まるが、母は私から相談を持ちかけられる事を、完璧に拒否していた。母の存在が「子供の相談に答えるもの」ではなかった。子供は親の言う事を大人しく聞くだけ、子供の側から親に何かを聞いてはいけない。私達親子はそういう一方通行の関係だった。それが母にとってラクだから、母はそうしていたのだと思う。それでは子供がかわいそうだとは、母は全く思わなかったようだ。母は悪人ではないので、なぜそういう事が出来たのか、不思議でならない。母親が善人であるという認識自体が、間違っているのかもしれないが、私には分からない。もしかしたら、母の時代、親は子供を二束三文に扱って良い、というのが常識だったのかもしれない。

 とにかく、今だと完全におかしいと分かるが、ずっと私はそれで育てられたので、そういうものだと思っていた。

 しかしながら。

 母が私の相談にのってくれて一緒に考えてくれたとて、正しい答えが出せたかというと疑わしい。何故なら、私は息子の相談に逐一丁寧にのって、一緒に考えながら育ててきたが、私の選択は全て間違っていたからだ。

 結論として、母親の教えは正しくない、と割り切るほうがよいと思う。母親が何かを言ってきたら、それの逆張りでいくほうが良い。

 なぜなら、母親自身は無意識だが、それらの選択には母親自身のエゴが含まれてしまうからだ。エゴで決めた事はほぼ間違いだ。正しい選択というのは、エゴを排除した上でなされたものだけだと、今は分かる。もう遅いけれども。取返しがつかなくなってから、正解が分かっても意味がないという時期に来てからはじめて、正解というものは見えてくるのだと思う。

 今の記憶を全て持ったままでもう一度人生をやり直せるなら、親の教えの逆張りが正しいと、割り切って清々しく生きたい。人生の苦しみや悩みの量は、かなり減るだろうと思う。

 

 

今ふと思ったが、母の時代はネットがなく、SNSもなかったから、匿名での人間関係や、自己表現もできなかった。だから自分を保つ為に外へ出て行くしかなかったのかも。




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