今日、少し外出した際、スマホを忘れている事に気付いた。家まで取りに戻ろうかとも思ったが、別にどうしても必要というわけでもないので、戻らなかった。
スマホ無しで外出すると、細切れの暇な時間にする事がない。特に電車の待ち時間。乗っている時間。いつもは自然にスマホを手にしていたが、無いので仕方なく、つらつら考え事をするしかない。
そう言えば、こうやって暇な時間に考え事をするなどという事は、しばらくやっていなかったように思う。大げさに言えば10年ぶりくらいだろうか。
いや、スマホを持っていても、考えたい事がある時は考え事をしていたのだが、考えたい事が特に何もない場合はスマホを手に取っていた。今日みたいに、考えたい事が何もないのに、手元にスマホがない、という状態が久しぶりなのだ。
何も考える事ないなあ、と思いながらそれでもあれこれ思いを巡らせていると、段々以前の感覚を取り戻していた。以前はこうだったなあと思った。
私のストレスの源である息子について、考えても仕方ないし、考える事自体がしんどいので考えないようにしていたが、何も考える事がないと、思いはそこに行くしかない。それで、つらつら考えていて、やはり一番いいのは、こちらから不用意に情報を提供しない、という事に尽きるな、と思った。
息子が喜ぶかもしれないと、色んな情報を伝えていたが、それを元にあれこれ聞いてこられるケースが多々ある。ものすごく疲れる。針小棒大というか、どうでもいい事にこだわるというか、小さな事を大げさに捉えすぎるというか、とにかく「そんな事どうでもいいじゃないか」と思うような事にこだわり、しつこく聞いてこられる事態が発生するのは、いつも私が息子に対して親切心で与えた情報が元になっている。だから、こちらからは何も積極的には言わない、というのが正解だと改めて思った。
逆に息子の扱いやすい所は、こちらの説明に簡単に納得してくれる事だ。普通だと、「はあ?」と思うような幼稚な説明でも、とってつけたような説明でも、わざとらしい説明でも、ご都合主義な説明でも、息子はわりと疑問を抱かずそのまま受け取り納得してくれる。これは有り難い。ただ、その説明内容は、私が頭を振り絞って考えないといけないので、とても大変なのだが、思いつけばなんとかなる。必死で考えれば何とかなる、乗り切れる、という面が有り難い。この部分の扱い易さのおかげで、なんとかやれているのだと思う。
スマホがなかったので、普段は考えない息子への対応を、暇にあかせてつらつら考えていたら、結構まとまったものになった。
家に帰ってカバンを整理していたら、底からスマホが出てきた。え、忘れたんじゃなかったのか。ちゃんと持っていってたんだ。まあ、いいけど。ではまた。

昨日、外出中に空を見上げたら、ブルーインパルスが飛んでいた。どうりでみんな、空に向けてスマホをかざしていると思った。飛行機が並んで飛んでいるのは、やはりワクワクさせられる。この感覚はなんだろう?