「お金儲けにならないSNSをやっている人の気が知れない」という発言をされる方を時々拝見する。なるほどな、と思う反面、いや私はそのタイプじゃないかと気づいて苦笑。
何でもかんでもお金儲けに利用しないと駄目なのか、というのが私の意見で、お金儲けでやらないからこそ自由に出来るという良さもあると思う。自由に好きなように出来る事が、自分にとって役に立っている、という事。
世の中、何でもそうだけど、物理的制約を受けずにやれる事なんかほとんどない。
今晩のおかずだって、食べたいものを作ればいいと言いつつ、材料費が高くなりすぎるわけにはいかないという制約がある。家族の好き嫌いやアレルギーといった制約もある。何でも好きなように作るわけにはいかない。
休日は何でも好きな事をすればいい、と言いつつ、経済的な制限、気力体力的な制限、時期的な制限、季節的な制限、諸々ある。好きな事が何でもできるわけではない。
ところがSNSは、常識的モラルの範囲という以外、ほとんど何の制限もない。本当に自分の好きなようにやれる。本当にどんなテーマで何をどう書いてもいいし、今日始めて明日終わってもいいし、また明後日始めて明々後日辞めてもいい。自分の自由だ。そんな、何もかも自分の自由にやれる事って、私はSNS以外知らない。
もちろんSNSをお仕事に使う事自体、自由なわけで、どんどん使えばいいと思うのだけれど、「仕事にならないSNSは無駄」と切り捨てるのは違うかなと思う。
前置が長くなってしまったが、ここからが本題。
昨日、用事を終えての帰り道、ぼんやりと歩きながら「私は今この瞬間死んでもいいな」と考えていた。苦しむのは嫌だが、この瞬間パタッと死ねるなら、むしろ嬉しいかも、と。あれをしなくてはとか、これがしたかったとかの執着が全く無いし、毎日息子がらみでしんどい事が多い。息子がらみのことは解決策が皆無で、ただ耐えるしかない、苦しむしかない、という事ばかりなので、救いがない。死ぬ事によってこの今世を終わらせられたら幸せだなと思った。
今世の私の失敗は、より良くなろうと上を向き続けた事だと思う。結婚もそうだし出産もそう。それが自分の人生を豊かにすると信じていて、私は自分の人生を「より豊かにし続けなくてはいけない」と思ってしまっていた。それが大失敗。
常に、今いる地点をゼロと考え、プラスにしようとしてはいけなかった。マイナスにさえしなければよかったのだ。プラスにしようと動くのではなく、どう動いたらマイナスにならないかを考えねばならなかったのだ。そういう視点があれば、結婚も出産もしなかったはずだ。それらはマイナスに働く危険があるからだ。
この年になって登録販売者資格を取ったけれど、それはいざとなったら働ける資格が欲しかったからだ。現在は金銭的に困っていないので無理に働くつもりはないが、将来何があるか分からないので備えておきたかった。資格を取った事は、どう転んでもマイナスに働く事はない。でも、結婚や出産は、プラスに働くかもしれないが、マイナスに働く危険もある。
来世では、今世の記憶は消えているだろうが、魂でしっかり覚えておきたい。常に今をゼロ地点と考え、マイナスに働く可能性がある事はしないという事。プラスを目指して動かないという事。ゼロ地点をキープする事が一番幸せであるという事。
勿論これは私個人の考えなのでどなたかに押し付けるつもりはない。
今気づいたが、私は「より豊かになりたい」からのみ、上を目指したのではないかもしれない。周囲にマウントをとりたい意識もあったかもしれない。競争意識みたいなもの。結婚しないと下に見られるから嫌だ、子供を持っている事である種の優越感に浸れるのではないか、とか。そういう醜い欲望があった気がする。
だから失敗したのだろうな。
来世の為に魂に刻み付けておくべき事は、欲は自分の首を絞める、という事かも。特に慢心や優越感等の醜い欲は、自分の人生にマイナスに働くという事だけは、なんとしてでも覚えておきたい。

長居植物園の梅も満開。曇りの日だったので、美しさが伝わらなくて残念。