仕事の不満No.1は人間関係だそうだ。最近は精神科の初診もなかなか取れないらしい。心の問題で悩む人は増加の一方だと思う。
逆説的に考えれば、感情をなくすと人生はうまくいくという事だろうか。
誰かに対する怒りや何かに対する不安は、自分の心を苛む。自分の欲が叶わない時も苦しむ。自力で解決できる問題ではない場合、心を病むことになる。
であれば、怒りや不安や欲を感じなければいいのではないか。感情というものがなくなれば病む事もなくなり、人生をスムーズに生きられるのではないか。
ただ問題が1点。怒りや不安は警報器の役目もあり、欲はモチベーションの源になる場合があること。怒りや不安を全く感じないと、自分の状況立場が悪化しても自覚できず、どん詰まりまで追い込まれる。欲を感じないと、頑張ろうという意欲も湧かないから、状況をよくしていく事が難しい。
では。怒りや不安や欲は感じたほうがいいのかというと、それらはダミーだという場合もあり、ここがややこしい。感じるべきではない怒りを感じていたり、感じる必然性のない不安を感じている場合もあるし、不適切な欲を正当な欲だと感じる場合もある。こういうケースは、警報器やモチベーションにはならない。怒りや不安や欲の感じ損。
話は変わるが、肉体の「痛み」というのも警報器である。生まれつき痛覚のない人というのがたまにおられるが、細心の注意を払わないと危険らしい。例えば頭を打っても痛いと感じないので病院に行かない。骨折しても痛くないので平気で動く。内臓のどこかが病んでも痛みはないので取返しのつかないレベルになるまで放置する。つまり、痛みは、体が危険な状態にある事を本人に知らせる警報器の役目をしているのだ。痛みは不快なので、それが生じると人間はなんとかしなければと治療したり養生したりする。これによって死を免れる。痛みがないと治療も養生もしない。
しかしながら、この「痛み」にも、ダミーがある。生物学的に言って全く原因がないのに、痛みだけがある場合があるのだ。心理的要因だと言われているが、いまだに理由は判然としない。とにかく理由もないのに痛みだけが発生する場合がある。理由がないからどれだけ検査しても原因は分からない。でも本人はすさまじく痛みを感じている。まさに痛みの感じ損だ。
心に生じる怒りや不安や欲は、生きるのに必要なものだし、体に生じる痛みもまた必要なものだ。一方、これらにはダミーがある。理由もなく必要もないのにこれらを感じてしまう場合がある。だから、全ての怒りや不安や欲や痛みが、必要なわけでもない。
そして、冒頭に書いたが、心の病は本人には解決できない怒りや不安や欲から発生しているから、これらの感情をなくせばよいのではとも思う。
これらは、警報器として必要かもしれないが、日常的には怒りや不安や欲は、無視したほうがいいのではないか。生命の危機に陥るほどの状況であれば、無視しようとしても無視しきれないと思うから。日常的には、これらの感情をなくすと、心を苦しめることもなくなるので、らくになると思う。

美容整形ちゃんが整形をしようと思ったきっかけは、仲の良かった友達が整形をしてかわいくなり、周囲からチヤホヤされるのを見て羨ましくなったからだと仰っていた。そして整形沼にはまっていった。表向きには「整形して良かった」と語っているが、メンバーシップのほうでは(一か月だけ入った)、ちらほら後悔も匂わせておられる。瞼が持ち上げにくい、口の内部を全て縫っているので口が動かしにくい(食べ物をこぼす、うまく喋れない笑えない等)、常に顏全体に違和感がある、等を語られているし、今現在の顏の仕上がりにも実は不満はあるがこれ以上直せないから仕方ないと。何千万もかけても、まだ満足には至っていない。
更に言えば、若い頃は綺麗なだけでチヤホヤされて楽しかったが、大人になると、綺麗だからといって何も得はしないと分かったと。大人になると他人に求められるのは、その人がどういう能力を持っているか、であり、外見ではない、という事だと分かったと。若い頃に整形してチヤホヤされたので何も努力せずに大人になってしまった事は、いい事ではなかったと。
彼女が、綺麗になった友達を見ても、羨ましいと感じなかったとしたら、整形したいという欲を持たなかったとしたら、別の人生があっただろうと思う。彼女の場合も、感情をなくしたほうがうまくいったのではないかと思う。
自分自身においても、他人様を見ていても、感情は不要だしむしろ害しかないなと思う事が多い。
今気づいたが、「怒りや不安や欲の感情をなくす」というのは、仏教における「悟り」に近い状態なのかもしれない。
空海の修行の1つに「狭いジメジメと濡れた岩穴に横になり飲まず食わずで何日も過ごす」というものがあったそうだ。狭さは今でいうMRIの機械のような、人一人がギリギリ横になれるレベル。MRIは30分程度だし濡れてもいなければ冷たくもなく岩ほど硬くごつごつしていない。苦しければブザーを押していつでも出してもらえる。
修行は何の為にしているのか、なんの為にわざわざ苦しい事を選んでやっているのか、と不思議に思っていたが、怒りや不安や欲を感じて当然の状況に自らを置いて耐えぬく事で、普通の生活に戻った時に、普通の生活レベルのことでは怒りや不安や欲を感じる事がなくなる効果を狙ったのだと思う。
確かに、究極に狭い所、冷たくじめついた所、硬くごつごつした空気の悪い所、飲まず食わずで何日も過ごす、を経験したら、外の世界は天国に感じるだろう。自分のまわりに空間があるだけで、空気があたたかく乾いていて新鮮なだけで、何かを口にできるだけで、もう十分に幸福を感じられるだろう。それ以上の何かを望む事もなくなるだろう。
とはいえ、修行をしたいとは全く思わないが。修行をせずに不要な感情をなくせたらいいなと思う。もしかしてこれも欲?(笑)