桜井識子さんの最近のブログに、「「運」とは何か私にもまだ分かっていない」と書かれていました。
桜井識子さんレベルの方でも(私は桜井信者)、分からないのだなあ、と落胆に近い気持ちを感じました。
というのも、私の息子は不安感が強いので、常に自分が運がいい状態である事を、私に保障させようとするからです。どうしたら運が良くなるのか、絶対に確実に運が良い状態を永遠に続けられるのか?みたいな事を、ほぼ毎日聞かれます。
これについて、「分からない」という返事は許されないので、私なりに考える事を必死で答え続けて日々をなんとかやり過ごしているのですが。
そうか~。桜井さんでも、運については分からないのか、、。では、知らないうちに運を落とす、という事も、あるんだなあ。怖い。怖すぎる。
まあ、運について、私が今考えている事は。
➀運は、上げるのは難しく時間がかかるが、落ちるのは簡単で一瞬。
➁何もかもが「運が良い」状態、逆に何もかもが「運が悪い」状態、というのはあまりない。何かで「運が良ければ」、何かで「運が悪い」。良い運一色という事も、悪い運一色、という事も、ない気がする。
③今運について考えられているという事は、すでにある程度運がある、という事。本当にどん底だと、運について考えようとも思わないし、そんな余裕もない。
④生まれつき運が良い人、というのも、運が悪い人、というのもなく、運は作っていくものだと思う。
運の作り方
1)良い運の時は、とにかく感謝。
2)悪い運の時は、この分野で悪くてもそこまで影響はない、むしろこの分野で悪運を使えて良かった、と考えて、こだわらない。さらっと流す。
3)出来るだけ良心に従って生きる事で、運を落とす要素を減らし、上げる要素を増やす。
4)桜井さん曰く、「悪運の穴」というのが時々開くそう。そこを通ってしまうと、一気に運が落ちる。その穴は見えない。突然現れ、一定時間過ぎると消える。人によって異なる。なので、他の人が感じなくても、自分が「この道は怖い」「この方向に進むのは気が進まない」となんとなく思うなら、道を変える等したほうがいい。悪運の穴が開いている可能性がある。虫の知らせを無視して歩いてしまうと、悪運の穴を踏んでしまい、運が一気に落ちるそうです。
5)嫌なことほど先にやること(後で、やって良かったと必ず思う)で、コツコツ運が上がる気がする。ただし、嫌な事と、悪い予感(虫の知らせ)が似ているので、これが難しい。嫌な事と、悪い予感の見分け方は、いつも嫌だと感じる事は「嫌な事」で、いつもは嫌じゃないのに今日は嫌だと感じるなら「悪い予感」だと思う。
6)どんどん行動する事が大事で、10やって1実るぐらいの感覚。1やって1失敗など当たり前。9の失敗のおかげで、1の幸運があったと思う。9失敗しなければ、1の幸運は得られなかったはず。それぐらい、幸運というのは価値が高いし希少なもの。
7)ぐっと踏ん張った先に、パッと運が開ける事がよくある。つまり、運を開くきっかけは胆力からくるものかもしれない。胆力が運を刺激して、パッと開かせる気がする。
8)エゴ・慢心・我は、確実に運を落とす。エゴを控えるには、自分に「肉体」がなければどうするのか?「魂」だけの存在ならどう考えるのか?を常に意識していると良いと思う。
9)他人のことは気にしない。人がどうあろうと、自分には影響させない。人に引きずられて運を落とす、という事はけっこうある。
10)「希望」は運の種。「良心」は栄養であり水。「自己」が土壌。
11)「期待」は叶わない。期待しない事が叶う。希望は自分が作るもの、期待は他人に委ねるものだから。期待を持つ時点で、自分の運を他人に委ねている。これは叶うはずがない。
4以外は私が考えたものです。7はわりとあると思っていて、個人的に持つ胆力が、運を作っている気がしてなりません。晴明神社のおみくじでも「努力さえしていたら、凶運にはなり得ない」とありました。うちのように障害児が生まれた事が凶運以外のなんなんだ?と思いますが、確かに当時の私は、本当の意味での「努力」はしてなかったです。流されてました。その時その時で、なんとかできたらいいわ、ぐらいの浅い考えで生きてた気がします。しっかり先を考えて今努力する、という事は出来ていなかった。だから凶運を招いたとしても仕方ないです。文句は言えません。
今は凶運にはならないよう、しっかり努力を続けています。努力したって運が良くなるとは限りませんが、ただ、これ以上は落ちないでしょう。晴明さんがそうおっしゃっているので、確かだと思います。それだけでも有難い事です。
晴明神社のおみくじ↓

とても気持ちのよい晴明神社


安倍晴明さんの像

とはいえ運は、人間の頭で考えられるような簡単な仕組みでは動かない気がします。は~やれやれ(笑)。