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美術をインストールされた受動体としての作家/梅津庸一「未遂の花粉」とシンポジウム「前衛、近代、コミュニティの再設定」感想

昨日、愛知県立美術館で開催中の梅津庸一展と、関連して行われたシンポジウムに行ってきた。その時感じたことなどをつらつらと。長いし結論はない。



梅津庸一については、黒田清輝の大作『智・感・情』を自らのヌードに置き換えて点描画法で描いた作品で話題になり、「パープルーム」という画塾兼共同体の主宰者でもある画家‥‥といった程度の知識しかない。
現在愛知県のあちこちで「パープルーム」も含めた展覧会が開催されている模様だが、私が見たのは、新栄の「波止場」という小さなスペースで、佐藤克久とのコラボレーション作品『ネオ受験絵画とフラジャイルモダンペインティングに見る日本の現代美術家の苦悩』のみ。
これまでの「表現行為を選択する能動的主体としての作家」ではなく、「美術をインストールされた受動体としての作家」像のようなものはなんとなく見えた。「能動」ではなく、積極的な「受動」。


愛知県美の展示では、先の黒田清輝、ラファエル・コラン、フェルディナンド・ホドラー、ポール・ゴーギャンの絵画に基づいた自画像と共に、県美が所蔵する近代絵画9点(高橋由一、山本芳翠、坂本繁二郎青木繁瑛九、上原欽二、織田広喜、鶴岡政男、麻生三郎)が展示され、外部執筆者5名がテキストを添えている。
パンフレットの、企画者・中村史子によるテキストのタイトルは、「彼方からの花粉  - 梅津庸一は歴史を生き直す - 」。「花粉」はこの作家のキーワードで、芸術家同士が時代や空間を越えて影響を与え合う現象を指す。自らが取り込まれてきた日本の近代美術や美術教育の起源に遡り、「生き直し」をしている画家であると。
歴史は実際には「生き直し」ができるものではないので、絵画という枠組みで仮構的に行うにせよ、それは常に/既に「手遅れ」な所作になる。もはや「手遅れ」を生きるしかない。先が見えない。そういう青年っぽい悲壮感と、それを裏切る可笑しな感じが作品に同居。
直接関係ない話だが、先日IAMAS(大垣にある情報科学芸術大学院大学)で『「アート」はどこから来たのか? その来歴と「呪い」と美術教育』というタイトルで特講をしてきたこともあり、「近代、日本、美術、美術教育」を巡る展示として個人的には興味深かった。



開始時間ぎりぎりに行ったシンポジウムは、ざっと見たところ百数十人の大入り満員。若い人が多い。椅子が追加されやっと座るも、室内がすごく暑い。調整もできないみたい。上着脱いでTシャツだけになりたいが着物なので不可能。最悪のコンディションで4時間耐えられるか早くも不安になる。
時間を押して始まった前半は、作家の挨拶に続き、各登壇者の発表。以下はざっとメモしたもの(落としている部分は多々ある。たぶんそのうち、みそにこみおでんさんの実況Tweetまとめが上がると思う/追記:上がった。https://togetter.com/li/1087363)。
( )内の肩書きは当日配られたチラシより。→の先は自分の感想。


▶筒井宏樹(ライター。編集、展覧会企画。鳥取大学准教授)、ファシリテーターとしての発言。
シンポのテーマは梅津の活動から見出されたもの。1、現在、なぜ前衛の手法を使うのか? 2、「美術」という概念が作られた日本の近代に立ち戻るという戦略は、どのくらい有効なのか? 3、アーティスト・コレクティブ(コラボレーションを行うアーティスト・グループ)に可能性はあるか? あるとすればそれはどのようなものか?
美術の前衛は、制度と市場に抵抗するものだった。制度の最たる美術館でやっていて、こういうシンポも美術館で行われるってなんかスゴイわ。というか最近日本の前衛美術の展覧会が海外も含めあちこちで開かれること自体、前衛が歴史化されたということで。ああだから「前衛の再設定」って言っているのか。でもそれを制度の最たる(以下ループ)
▶中村史子(愛知県美術館学芸員
梅津は近代日本美術を批評的に生き直すことを、画業として実践している(パンフの内容とほぼ同じ)。
近代の作品をコレクションする美術館として梅津庸一は企画しがいのある作家だろうとは思う。
▶土屋誠一(美術批評家。沖縄県立芸術大学准教授)
床の間芸術(場所に帰属)と会場芸術(大衆に依拠)ではない第三の道としての「卓上(デスクトップ)芸術」。マルチプル、小サイズ、水平的、物語とセット。これはそのまま現在の視覚文化状況。つまり通俗的モダニズム理解の還元主義がいかに特殊だったかということ。
シンポのテーマとどう関係してくるかわからなかったが、話としては面白かった。アートが終わり、その”横”にあったものやその”前”にあったものが呼び出されてきている話として聞いた。
▶筒井宏樹
60年代末〜70年代初頭の名古屋の前衛パフォーマンスアート集団「ゼロ次元」について。長らく美術史で無視されてきたが、90年代以降発掘が進んだ。中心になっていた加藤好弘は東京でも活動し、多弁で論理的で欧米のアーティストに近かった。一方の岩田信市は論理嫌いで不器用で泥臭い(デロリの美)。その後、岩田は前衛芸術から後衛庶民(芸能)に移った。
今日「前衛」として登壇している人に無理矢理当て嵌めると、黒瀬陽平は加藤好弘で、梅津庸一は岩田信市に近い感じになるのかな(この印象は、シンポを通じて徐々に強化された)。あと、名前の出てきた人とつい先日久々に話したり、スーパー一座でスタッフしてた人と偶然出会ったばかりだったので、妙な気分になった。
松浦寿夫(画家。西洋近代美術史)
点描絵画をめぐり、知覚と労働についてデリケートに語っておられたが、私には把握しにくく要点をメモできず。画家の人にはよくわかる話だったのだろう。
黒瀬陽平(美術家。美術評論家。カオス*ラウンジ代表。ゲンロン*カオスラウンジ新芸術校主任講師)
「近代を生き直す」ことの動機は何か、主体のあり方が変更される契機をどこに見出しているのか(梅津への批判)。主体のあり方が変わったのは近代に限らない。例えば仏教伝来時(「怨霊化した神々」例示解説)。異質な西欧を日本がどう受容したかという話だと「日本=悪い場所」的宿命論になってしまい、日本は何でも受け入れ共存させる「寛容性の神話」だと議論が雑になる。
主体が変わる契機が重要なら、これまでの美術家主体(前衛も含め)は無効にならないか。美術家として「これまでと主体形成が変わりましたよ」と作品見せるのって何か変だし。



10分休憩の後、後半のディスカッション。
他の登壇者の発言も異論や補助線としてあったが、黒瀬氏と梅津氏のやりとり(互いを批判しつつ自分のあり方を述べる。非常に平たく言うと「どちらが真の前衛足りうるか」みたいなところ?)が中心になっていた感触。


一番印象的な部分を短くまとめると、
黒瀬:梅津及びパープルームのやり方は、受けの姿勢で事後的に読解してもらうものであり、日本の美術史では当たり前で教科書的。僕は特異点でありたい。
梅津:パープルームは病理が深く、自分でも何だか分からないほどの近代の生き直しに重心が置かれている。特異点としてわかりやすく違うことをしたいのではない。


特異点でありたい」という言葉にびっくりして、しばらくそれ以外の情報が入ってこなくなった。そういう言い方を美術家/美術評論家がすることに驚かされたというか。その「特異点」の内実はわからない。
しかし二人の語っている内容より言葉遣いや喋り方の相違が印象に残った。そっちに注目した方が何か本質的なものが顕れる気がする。*1


それはさておき私から見ると、後者が「美術をインストールされた受動体としての作家」であるならば、前者が体現しているのは「表現行為を選択する能動的主体としての作家」である。前衛美術作家そのものであり、前衛は言うまでもなく、進化・進歩を信念とする男性的、論理的、能動的な主体。つまり「アートの父殺しの歴史」(大野) において正当性を主張する息子たちの位相だ。それが父となり、また次の息子たちに乗り越えられていくというヒストリーがある。
後者は、そういう作家主体が立ち上がりようがなくなった21世紀において、仕方なく受動的なあり方でしか画家として生き延びられない(なぜなら「花粉」を受容してしまったから)と自閉的に悟った主体に見える。「受動体としての作家」は矛盾を孕んだ言い方だが、近代的、男性的主体の最期の痙攣のような感じにも見える。
どちらが主体の変容に直面しているかと言えば、後者だと思う。梅津庸一の自画像が、元の絵画ではすべて女性がモデルであることも、これに関係しているかもしれない。言うまでもなく女性は歴史的に受動側に置かれてきた性だ。私は梅津庸一論の類いをまったく読んでないし、今日のアーティスト・トークも行っていないので、見当違いかもしれないが。*2


とは言え、全面的に受動的なわけでもなく、展示は非常に周到だし、戦略的な立ち振る舞いをしているという印象は受ける。
こういうのを「受動的に能動(のうど)る」という。この言葉遣いは私のオリジナルではない。1984年に画廊パレルゴンIIから発行された小冊子『現代美術の最前線』(責任編集/藤井雅実、ちなみにここには松浦寿夫も入っている)に掲載されている座談会の一つ「I. 受動的能動––––現代の戦略」で、関口敦仁の発言として最初に「受動る」という言葉が出てくる。一部抜き書き。

関口:西洋的な構成って、まあ能動的な訳で。逆に受動(じゅどう)っちゃう事でさ(大爆笑)出て来る可能性があると思う。能動(のうど)る美術の形が今まで続いてた訳で、そうでなく引用や組み直しの受動っちゃうところをはっきりさせていくべきじゃないかな。
 (大幅略)
奥野:受動っちゃうって言っても、優れて能動的な訳ね。
関口:受動っちゃうことが能動ることだから。


ここから発して、「受動的に能動る」という言い方が出てきたのだった。誰かが口にしたか、展覧会のパンフで見たのかもしれない。あるいは座談会タイトルから自分でそう覚えたのかもしれない。30年以上昔のことなので忘れたが、過去のあらゆる前衛が"再発見"されている今、上記の『現代美術の最前線』を構成した80年代前半の動向(言わば最後の前衛たち)の本格的な掘り起こしは、ほんの一部を除いてはまだ行われていない(「Sさん、一昨年の秋に出した原稿どうなりました〜?」とここでこっそり呼びかけとこ)。


それから、筒井氏の話で出た90年代初めの「前衛」。中村政人や村上隆が60年代の前衛のシミュレーションをした一連の行為だが、あれらは近代美術の亡霊を召還し憑き物を落とす儀式だったと思う。つまり近代美術も前衛も(というか両者はほぼイコールだが)そこで完全に歴史化されたのだ。
ということは、もうアートにおいて前衛的位相はあり得ないということではないか。ネタでやるのはともかく大真面目には。それで「再設定」なのだろうけど、話を聞いているとかつての前衛と同じく、アーティストとして制度と市場に、そして画一化、平準化されていくグローバルアートヒストリーに抵抗するという。その言葉は、昔の前衛と変わらない。つまり「特異点」の連続としてのアートの進歩と進化を信念としている。
「再設定」なら、そこを突き抜けて、アートも突き抜けて、別の場所に出てしまう(実際、かつての前衛には「出た」人もいた)ということでもいいと思うのだが、話は最後までアートの中から出なかった。ここに生まれる欲望は、何なのだろうか。アート内の自己実現? 「真の◯◯」を巡る権力闘争? それとも別の何か?


‥‥‥などの疑問が湧いてきたが、質問はしなかった。質疑応答の時間が非常に限られていたので、ここは若い人が質問する場でしょうねという教育的配慮(笑)が働いた。
予想はしていたが、アートに対するスタンスは異なってもその進化的未来を信じる人々‥‥違う人もいたかもだけど‥‥の中で、アウェイ感が半端なかった。暑くて頭が朦朧としてきたのもあって、終わった途端に早くこの場を去らねばという感じになったのだった。
おしまい。

*1:追記:あと、梅津氏の話の中で、介護施設で働いて感じたことが語られていて、こういう話とアートの話が(介護現場で有効な美術とかアート療法とかではなく)結ばれる「線」には興味がある。

*2:日本の近代以降の男性美術作家における「女性性」「女性的主体」って面白いテーマじゃないかな。誰か書いてないだろうか。




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