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実名、私の場合

22日の記事生業と言論、生活と思想の一致問題の困難に、とても示唆的な言及を受けた。以下抜粋。

「生活人」と「言論人」の対立は、タイトル通り生活と(生活を否定する)思想の分裂へ移行している。生活を否定するものを真として抱えながら生活をすること。チェホフのテーマでもあった「インテリゲンチャの苦悩」は、それこそ「正規雇用の職に」あろうとなかろうと、生活を偽と考える出発点を取っていた。


その対立は真偽の対立だろうか、あるいはここで述べられているように優先順位の問題だろうか、そもそも分裂はあるのだろうか。つまり分裂そのものが偽だとしたらどうだろう。私がひとりしかいないように、名もひとつしかない。
[‥‥] こういった問いの前に立つものは「すでに」言論の人だった。分離もできず、統一もできない二つのものの亀裂に真摯に向き合うものは誰しも、この記事にあるように「覚悟」を問われてしまうのだ。

雑感など書いてみる -坂のある非風景


コメント欄で私は、「言論人」だけでなく近代人の問題として考えてみたい旨書いているのだが、考えれば考えるほどとても自分の手に負えそうにない、あまりにも大きなテーマだったことがわかってきた。
とりあえずここでは、なぜ私が実名を使っているのかについて書きながら、「生活と思想の分裂」という厄介な問題を、自分を例にとって考察できるところまでしてみたい。


2000年頃にネットに参入して以降、実名を使ってきた。私は「実名原理主義者」ではないし、実名で書くことが顕名より「偉い」という感覚もない。基本的には内容で判断されるものだと思う。
実名顕名論議を見ていると、どういう「名乗り」をするかは、結局個々人のメリット、デメリットの問題に帰されているようだ。


私が実名の名乗りに抵抗がなかったのは、美術作家をしていた2002年まで、作品を実名で発表していたことが大きかった。美術作家も最近は変名を使う人がたまにいるが、実名を名乗るのが一般的だ。少なくとも、小説家よりはずっと実名率が高い。
展覧会のカタログや美術雑誌に紹介される際は、実名に加えて大抵プロフィールが載る。プロフィールには展覧会歴の他に生年、出身地、最終学歴、在住地、顔写真なども加えられることがある。
ある程度の期間そのジャンルで活動していると、自分の実名や個人情報は、作品を通して不特定多数(と言っても美術業界界隈)の人に知られるようになる。つまり私は、評価も批判も自分に関わるすべての言葉を、実名にて受け取るのが当たり前という認識で、20年ほど過ごしてきた。


当時、美術系予備校講師で生計を立てていたが、一日の仕事を終えて頭を切り替えて余暇を楽しむ、ということはほとんどなかった。と言うより、仕事と言えばまず制作(売れようと売れなかろうと)を指しており、生業や余暇の出来事も含めて、何らかのかたちで仕事(制作)の中に昇華されるものという構えだった。
非常に大雑把に言えば、美術とは「見ること」を巡る思索と試行の総体である。「見ること」は生活のあらゆる局面で顕現する。美術をベースとして何もかもが繋がってきてしまう。プライベートもパブリックもなく。だから「私がひとりしかいないように、名もひとつしかない」。


となると、前の記事で主題化したことに反して、私には幸運にも「生活と思想の分裂」といったものがなかったことになるのだろうか。
いや少なくとも、生活を支える生業の「上」に自分の制作を位置づけていたのだから、そうではない。私の名は、自分の中では個人名、講師名である前に、あくまで作家名だった。
そして、美術を通して生活とそれをとりまく社会を見、そこから使えるものを選り分け、抽象化して作品へ収斂させようとしていた。私は生活を蔑む一方で生活から収奪する、ある種鼻持ちならない芸術至上主義者であった。



ブログを書き始めたのは5年前に美術をやめてからだが、この10年ほどの肩書きは、芸術大学とデザイン専門学校の非常勤講師である(それ以外で細かいバイトもしている)。担当してきた授業科目はばらばらで、特に何かの研究に打ち込んでいるわけでもない。あるのは、元ローカルな美術作家で万年非常勤の既婚中年子無し女というあまりパッとしない社会的位相と、それに相応しい生活。
そういうところからもう一度考察を始めた時に、文章を書く場がほしいと思い、今まで使っていた実名もそのまま使うことにした。
美術業界の一部で知られていただけの私は、その外に出れば事実上無名である。私の実名で検索しても当時は、数十件の展覧会関係と職場のサイトにヒットするだけだ。ネットで実名をわざわざ名乗ってブログを書いて、生業にメリットがもたらされることもおそらくない。にも関わらず、顕名を使うという発想は、なぜか出てこなかった。


文章は美術作品の代わりかというと、自分の中での位置づけはかなり違う。美術作品で自分自身や自分の生活を直接的に取り上げることはなかったが、文章では私生活の出来事もしばしば具体的に書いている。ネット上の議論やさまざまなテーマについても、何らかのかたちで自分を経由しないと書けない。性については特にそうだ。
ただ、作品も文章も、個人が表出し公開したものというレベルでは同格だと捉えていた。また、美術を通して考えたことや美術をやめるに当たって考えたことは、今の自分の思考のベースを形作っているから、美術作家を名乗っていた大野とネットに文章を書く大野とは、どう見ても地続きで繋がっていた。


そう考えるとリアルと同様、ネットでの評価も批判も自分に関わるすべての言葉を、実名にて受け取るということになるんだろう(自分の場合は)と思った。
生活者の私と書き手の私という「分離もできず、統一もできない二つのものの亀裂」があったと言うよりは、生活者、あるいはそれ以外の属性(「女」「おばさん」「日本人」etc)で自分を見た時に出てくるモヤモヤが、ブログを書くことに向かわせたといった感じだった。そこでは「私がひとりしかいないように、名もひとつしかない」。



実名で書くことのデメリットの一つに、仕事(生業)上の問題がある。実名と仮面 -背後からハミングでは、そのことについて筆者を例にして具体的に述べられている。
これは私の場合にも起こりうるだろうか。


たとえば、マックバーガーショップで働いている人が「マックなんて毒の塊だ。食べない方がいい」と実名で書いて会社に見つかれば、それは問題となろう。では私が「芸術なんて毒の塊だ。近寄らない方がいい」と批判したらどうなるのだろう。芸術批判は既に書いている(この中のいくつか)し、次の本にも書いた。これは芸術系の学校で仕事をしている者としてどうか?という意見があるだろうか。そういう人もいるかもしれない。
だが、文学にしろ芸術にしろ、それへの批判を含み込んだかたちで展開されてきたものである。どんなスタンスであれ芸術に言及することは、芸術にさまざまな目を向けさせることになる。従って私の言葉は排除すべきものとはならないと考える。
学校制度や美術教育への批判も同様だ。もちろん非常勤講師として学校に言いたいことがあれば直接言うわけだから、ここに書くことはない(非常勤講師という仕事がいかにしんどいかは書いたことがある)。


大学でジェンダー入門の授業をもっているが、私はたまに"いわゆるフェミニストらしく"ない記事も上げるし、発言もする。同じようなことを授業でも喋っている。フェミニズム(という言葉は実はあまり使わないが)への基本的評価とその問題点双方を提示しつつ、性と社会についての考察を促すのが私の仕事であり、それを評価するのは学生だ。
大学でも専門学校でも毎期、授業評価アンケートが行われる。ここは学生の何割かも読んでいるので、私が授業とは矛盾することを書いていれば、授業そのものにも疑問を持たれるだろうし、私の評価も下がるだろう。
(また、ネット上で私を批判したい人が人格否定すれば、それはネット人格だけなくリアルの人格まで含むことになるが、それも、実際に私を知る人にとっては現実の方と照らし合わせて判断されるだろう)


私の生業と「書くこと」は、以上のような関係にある。少し特殊な関係と言えるかもしれない。私の考え方の方が特殊(変)だという意見もあるかもしれないけど。
それでも、「生活と思想(というのはおこがましいが)」の統一はできてない。私は基本的に食べるために働いており、そこで仕事を選択するような自由はない。常に選択される側だ。
著述業で生活している言論人は、「生活と思想」を統一していることになるのだろうか。だがそこには「生活のために売文する」という局面が出てきて、また分裂が起こる可能性がある。


いずれにしても実名を名乗って書いたことは、リアルに染み出しリアルで問われる。それがまた「書くこと」にフィードバックされる。そういう関係にならざるをえない。
‥‥改めて考えてみると緊張するなぁ。美術では、そこまではっきりしなかった。もっと曖昧だった。言葉は曖昧さを解体し、自分に跳ね返ってくる。時々忘れそうになるが、「書くこと」は怖いことだ。
でもそれこそ、私が求めていたことだったのではないかと思う。


(「近代人」にぜんぜん行き着かない。またそのうち別の角度からトライする)




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