「ナチスは「良いこと」もした」という主張がでてきたり、通俗書で誤りが書かれていたりするので、主要な「良いこと」もした論を検証する。「おわりに」でこのような歴史捏造が登場する理由を分析しているが、個人の欲望や不満などに求めるのは誤りだと思う。これらのナチスの政策を相対化する言説は政治運動と結びついている。「良いこと」もしたからナチスの犯罪もたいしたことではないと主張する。これらの言説は極右団体の支持につなげようとしているのだ。歴史修正、歴史否認、歴史捏造は政治活動であるという認識を持つべき。

序 ・・・ 歴史認識には「事実」「解釈」「意見」の三層構造があることを知ろう。「解釈」は歴史学が長年膨大な知見を積み上げてきた。これは打ち消しがたい確かさをもっている。(「ナチスは良いこともした」などの歴史捏造(修正主義)は、この三層のどこかで誤謬を犯している。)
第一章 ナチズムとは? ・・・ 21世紀のナチス研究の成果。前世紀の常識がひっくり返されるので要熟読。
・ナチズムは「国民社会主義」をするべき。国家は道具だった、「国家社会主義」とすると国民が免責される。ナチス体制はふつうの人々の賛同に基づく独裁だった。
・ナチスは「民族共同体」の団結と調和を求め、マイノリティや政治的敵対者などを徹底的に排除した。包摂と排除のダイナミクスがナチ体制の本質。
・ナチスの「社会主義」は、資本と結託して国民を民族共同体に参加させること。通常の社会主義とは何の関係もない。社会主義は全体のための奉仕・義務という意味で用いられた。
・一時期流行ったナチス=全体主義論は誤り。国家統制・計画経済を推進する全体主義でスターリニズムとの類似をみたが、このアプローチは批判された。ポピュリズムとみるのも右翼ポピュリズムを免罪させるのでダメ。
第二章 ヒトラーはいかにして権力を握ったのか? ・・・ ナチの政権獲得は「民主的」といわれるが、暴力の行使に国民が賛同/忌避を示したことが大きい。(1932-33年の選挙では共産党も躍進していて、危機感を感じた保守が極右を選択したことも重要なターニングポイント)。ナチの宣伝が効果を上げた理由は、時宜に対応する臨機応変な戦略にあった。子供に優しいヒトラー、女性に熱狂的に支持されるヒトラーはイメージ戦略でできたもの。男性の暴力行使を隠し、ホロコーストを免責させるので強調するべきではない。
第三章 ドイツ人は熱狂的にナチ体制を支持していたのか? ・・・ 当時のヨーロッパ(とアメリカ)では反ユダヤ主義が極めて強かったが、ドイツ人(ことに市民(シトワヤンとブルジョア)層は礼節と秩序を重んじていた)はナチスの暴力的排除的な反ユダヤ政策を賛同していたわけではない。しかし反ユダヤ主義は金になったし、「共同体の敵」と交友があると不利益を被ったので非自発的にユダヤ人排外の行動をとった。ナチ体制は同意と強制の両面をもつ「賛同に基づく独裁」だった。
〈参考〉第二章、三章は以下に詳しい。
石田勇治「ヒトラーとナチ・ドイツ」(講談社現代新書)
以後は各論。「良いこと」には発明、人類への功績という含意がある。なのでナチ政策の検討には、1.オリジナルだったか、2.どういう目的だったか、3.どういう結果だったかを見ることが必要。
第四章 経済回復はナチスのおかげ? ・・・アウトバーン建設は雇用創出と経済復興に役立ったといわれるが、建設は未完了で放置され、雇用創出も部分的。これらの経済政策は前政権のものを踏襲。1933年には景気回復があった。ナチ時代の経済躍進は国債の大幅発行などの赤字財政と軍需産業への投資と動員が理由。一時期は国家予算の6割が軍事費。1938年には財政破綻の危機とインフレ予測があったので、武力による占領と収奪を開始した。戦時期はユダヤ人と占領地の収奪、外国人労働者の強制労働で経済を支えた。
〈参考〉 ナチスがユダヤ人と占領地からいかに収奪したかは以下に詳しい。
第五章 ナチスは労働者の味方だったのか? ・・・ 労働環境の改善や福利厚生政策を行ったとされるが、実効はほとんどなかった。実質賃金は低下し、労働時間は減らなかった。また源泉徴収その他の制度は前政権の政策を継承したり、他国のやり方を真似したりしたもの。ユダヤ人などマイノリティには恩恵がなかった。多くの国民はナチスの夢で共同体参加意識を持った。
第六章 手厚い家族支援? ・・・ 母の日と勲章授与、その他子育て支援をしたが、出生率が上がったのは政策よりも経済成長(による給与増と安定)で結婚数が増加したため。政府の支援は不十分だった。「民族共同体」に沿わないマイノリティは優生政策で殺されたり断種させられたりした。女性が家庭にいる古い家族観は戦争による女性就業推進で実現されなかった。
第七章 先進的な環境保護政策? ・・・ 自然保護、動物保護、有機農法などはナチスの発明ではなく、19世紀末からのナショナリズム運動で提唱実践されていたことの焼き直し。動物保護は反ユダヤ主義と結託(残虐なユダヤ人イメージ作りに利用)。有機農法は東方移植計画で検討されたもの。ごみゼロ、フードロスゼロなどは食糧生産には結びつかない。いずれも民族共同体への参加意識を強める国民運動だった。ユダヤ人は動物より下の扱いをされ、戦争は究極の自然破壊である。
(この事情は 上山安敏「世紀末ドイツの若者」(講談社学術文庫)でよくわかる。)
(森はドイツ人のアイデンティティに深くかかわる。日本のコメみたいな感じ。ハイデガーは森に執着した思想家だったが、そこに彼のナショナリズムやナチズムを見ることはできるかも。)
第八章 健康帝国ナチス? ・・・ 禁酒、禁煙は19世紀末以降のナショナリズム運動で行われていたこと。酒とたばこは重要な税収で兵士の士気高揚に欠かせないので掛け声だけ。がん撲滅も20世紀初頭からの科学プロジェクト。健康に留意させたのはあくまで民族共同体の一員であることを自覚させるため(男は兵士か労働者、女は家庭と出産)。共同体のマイノリティは人間扱いしなかった。
巻末の参考文献は、21世紀に出版されたものが大部分。20世紀の本は「事実」「解釈」「意見」で不十分な所が多々あるのだろう。読者もキャッチアップしないといけない。
「ナチスは「良いこと」もした」というのは詭弁。針小棒大、政策だけしか見ない、目的や結果をみない、特殊な事例の一般化、誤った等値関係、誤った二分法、藁人形論法、そっちこそどうだ(Whataboutism)などが使われている。このつぶやきが当を得ている。
「「ナチスは良いことをしなかった」じゃなくて「ナチスがした"良いことをした"と言われるものは全部プロパガンダか、悪いことへの伏線でしかないから、それって"良いこと"って言えないよね」だから趣旨を取り違えてはいけないのだ」
「ナチスは良いことをしなかった」じゃなくて
— 貨幣論と財政論のカヘイさん (@monetaraisan) 2024年11月30日
「ナチスがした"良いことをした"と言われるものは全部プロパガンダか、悪いことへの伏線でしかないから、それって"良いこと"って言えないよね」だから趣旨を取り違えてはいけないのだ(戒め) https://t.co/oy2B0hAqrp
本書を通読すれば、「ナチスは「良いこと」もした」論にかんたんに反論できるので、どんどん利用しよう。歴史捏造者への対抗は専門家が動くことは必要だけど、専門家に任せると消耗してしまうので、野良が大声だしたほうがいい。
(個人的にはナチス=全体主義論は誤りという指摘を読んで、動揺してしまった。でも続けて読むと、ナチスは「賛同に基づく独裁」とみられているとのことなので、国民運動に支えられたファシズムという観点は覆されていないようだし、むしろ強化されているのがわかって安堵した。ハンナ・アーレントの見方はまだ有効であるようだ。ただ「全体主義」という用語は避けたほうが良さそうなので、別の言い方「賛同に基づく独裁」に変えるべきなのだろう。)
(日本の軍国主義にはファシズムなのか全体主義なのかという議論もある。なるほど日本の軍国主義政治には個人崇拝や独裁する党は存在しなかった。だが国民の「賛同に基づく独裁」は同じ。そこにおいて、日本の軍国主義もファシズムで全体主義だったとしてよい。ただ、既存の歴史書では国民の多くが戦争に賛成し、軍政を支持したことはほとんど記述されない。東京裁判などをへて「国民は軍部にだまされた」という認識で自己弁護をするようになった結果だろう。そこは覆していかないと。)
ヒトラーおじさん、たくさんの切手が当時出てたんですが、この切手の額面の1%がヒトラーの肖像権の使用料だったらしくて、実質郵便税がヒトラーのポケットマネーになる素敵制度で、これが指導者原理ってやつなんやなぁ
ヒトラーおじさん、たくさんの切手が当時出てたんですが、この切手の額面の1%がヒトラーの肖像権の使用料だったらしくて、実質郵便税がヒトラーのポケットマネーになる素敵制度で、これが指導者原理ってやつなんやなぁ pic.twitter.com/Miu2Nb31YG
— ぼろ太 (@futaba_AFB) 2023年12月16日
小野寺拓也/田野大輔「検証 ナチスは『良いこと』もしたのか?」(岩波書店)→ https://amzn.to/3QSzsRj