
「動物に"言語"はあるか?」「動物と"話す"ことは可能か?」という問題は、はるか昔から人々を惹きつけてきた。
今回読んだ本『まじめに動物の言語を考えてみた』(アリク・カーシェンバウム著)では、オオカミ、イルカ、ヨウム、ハイラックス、テナガザル、チンパンジーといった、複雑で興味深い音声コミュニケーション手段を駆使する動物たちを中心に、最新研究によってその謎に光を当てる。
公式HPより
"誰もが動物と会話したいと思っている。はたしてそれは可能なのだろうか。残念ながらこれまでの研究では明確な答えが出ていない。なぜなら、私たちはそれを調べる方法を間違えているからなのだ。
それを実現するには、動物が発する音(声)を調べて、それを人間の言葉に「翻訳」するのではなく、動物がなぜそのような行動をとるのか、その行動はどこから来るのか、そしてその行動を支えるために彼ら特有のコミュニケーションがどのように進化してきたのかを理解する必要があるのだ。"
本書の肝は、動物の「言語」が私たち人類が想像する言語のあり方と、必ずしも同じではないこと(たとえばイルカのコミュニケーションはいわゆる言語とは異なる、と主張する)。だがそこにこそ動物という不思議な「他者」の面白さがある。
日本でも最近(よく話題になるシジュウカラの「言葉」とか)動物の「言語」の研究に光が当たっていて、もちろん良いことなんだけど、一方で私たち人間は言語によるコミュニケーションを非常に重視する動物だから、「言語を使う、イコール知性」みたいな強いバイアスを持っていることも自覚して、動物をその色眼鏡で見ないよう注意すべきなんだよね。
そのあたり、本書『まじめに動物の言語を考えてみた』は真摯に向き合って、本の中でも何度も繰り返される。もし動物に「言語」があったとして、それはあくまで社会的生活がスムーズに成立するように進化の過程で獲得したツールのひとつにすぎない。そして、もし厳密の意味での「言語」をもたなかったとしても、言語になんて一切頼らなくても何の問題もなく生きていけるというだけのことだ。
『まじめに動物の言語を考えてみた』、(原題は"Why Animals Talk: The New Science of Animal Communication"=直訳「なぜ動物は話すのか:動物のコミュニケーションの最新科学」だが)邦題通り、動物の言語をまじめに、なんならわりとシビアに考えていて、第2章で「イルカに言語はない」と断言するくだりとか真摯である。イルカの賢さを評価する人は反発するかもだが、そもそも「賢さ」と「言語」は別に関係がないというのが本書の主張。
「イルカには言語がなかったから、機械を発明できなかったというのは、明らかに事実に反する。むしろ、機械をつくる必要がなかったから、イルカは言語をもたないのだ。これは本書の核心でもある。僕たちが考えるべきは、動物が何を必要としているのかであって、動物がどんな能力を備えていると思いたいかではないのだ。
イルカは自力で問題を解決した。」
たしかにイルカは「ホイッスル」で音声コミュニケーションをとり、お互いを名前で呼び合う特異な能力をもつので、「概念の表象をもち、その表象を他者に伝える」という意味では言語の本質的な特徴がある。ただし、その(名前に使う)シグネチャーホイッスルを除けば、これまでイルカが他の対象物を表現した記録はないという。
イルカの祖先が海中での生活に適応し、効率よく獲物を得たり、シャチから逃げるには、賢く、協力的で、コミュニケーション能力が高い必要があり、そうした能力を研ぎ澄ませていった。とはいえ、人間の言うところの言語が必要だったわけではない。イルカは人間の歩んできた道を追随してきたのではなく、完全にオリジナルな進化を遂げてきたというわけだ。
たとえばオオカミとイルカはともに複雑なコミュニケーションをする社会性哺乳類として比べられるのだが、その内実はかなり異なるという。
重要な違いのひとつが、オオカミは天敵がほぼいない頂点捕食者だが、イルカはシャチなどのより大きな捕食者の脅威にさらされること。
ゆえにオオカミが仲間と協力するのは、狩り、なわばり防衛、子育てくらいな一方、イルカはもっと顕密な協力が必要になる(その意味でイルカはオオカミよりコヨーテと比較されるべき、とも)。
また「遊び」の最中も、イルカのほうがさかんにコミュニケーションを取ることも大きな違い。オオカミの遊びはもっと「儀式化」されてると。進化の条件ごとに、遊びのあり方も全く違うんだよね。
オオカミと遊び、といえば『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』も面白かったな↓
『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』読了。遊びという高度な社会的コミュニケーションを通じて良い集団関係を作り上げる…といった、どこか人間にも深く通じるオオカミの色々な生態を紹介。弁護士としてのキャリアを捨てて大好きなオオカミの研究に乗り出した著者ならではの、熱いオオカミ愛に溢れた本。 pic.twitter.com/q4ct9TDmkS
— ぬまがさワタリ@『いきものニュース図解』など3/19発売 (@numagasa) 2021年2月1日
そのオオカミも、まるで言語のように入り組んだコミュニケーション方法をもち、『まじめに動物の言語を考えてみた』の主人公の一匹(一種?)である。
オオカミのパック(群れ)内のコミュニケーションに用いられる多様な音声には「ワイン」「ウィンパー」「イェルプ」といった呼び名がある。すすり泣きや懇願に似た声や、騒々しい唸り声を組み合わせて、他の種(例:人間の祖先)に感情を理解させることは生存上も有利に働くようだ。
短距離のシグナルのほうが人の話し声に近いのだが、「ここではないどこか」に向けて声を伝える、オオカミの長距離コミュニケーション…そう、ご存知「遠吠え」は、まったく性質が異なる。情報の量とトレードオフで、「多く」より「遠く」を追求する遠吠えは、10キロメートル以上離れた相手にも聞こえる。光を収束させたレーザービームにたとえられる。
『まじめに動物の言語を考えてみた』、オオカミの遠吠えのマネをするコツものっている。それは、ピッチの上昇(あおー↑↑↑ーーん)を誇張しすぎないこと。もう少し穏やかな変化で「あおー↑ーおー↑ーん」くらいに鳴くと、ずっとリアルな響きになるそう。

ピッチの急上昇とその後の穏やかな下降というざっくりしたパターンこそが、オオカミの遠吠えの本質的な特徴である。子どもが遠吠えを雑にマネすれば、オオカミには偽物とバレてしまうだろうが、とはいえ「遠吠えなのね」ということは認識してもらえるようだ。
距離があるほど音の他の要素は失われてしまうが、音の高さとテンポの変化は容易に認識できる。音の性質が遠吠えを進化させたと言えそうだ。
『まじめに動物の言語を考えてみた』、とりわけ面白い動物がハイラックスだ。日本語ではイワダヌキとも呼ばれる、風変わりな外見で、たしかにタヌキのようにもみえるし、ウサギやモルモットにも似ているが、そのどれでもない、独立した種である。
このハイラックス、鳴き声を「歌」のように用いることで知られる。聴いての通り(↓)あまり美声というわけではないが…
ハイラックスの歌が面白いのは「統語」があるらしいこと。
言語学者の多くは、統語(語を順番に並べるときのルール)は言語にとって不可欠だと考える。
ハイラックスの特別な音の整理方法は、ヒトが単語を正しい順番に並べて伝えることに似ている…だけでなく、(ほとんどの鳴禽と違い)統語を学習し、後天的に歌の構造を調整できるという。
『まじめに動物の言語を考えてみた』、ハイラックスの「歌」をまじめに分析する。分析自体は簡単で、なぜなら語彙(鳴き声の種類)がさほど多くないからだ。具体的には5種類で、それぞれ「ウェイル(長く物悲しい)」「チャック(短く連続的)」「スノート(荒い鼻息)」「ツイート(鳥のさえずり)」「スクイーク(きしむ高音)」といった名前もついている。
ハイラックスはこれらを組み合わせて歌を作るのだが、でたらめに組み合わせているわけではないという証明として、それぞれの音の「直後」に出現する音の確率に注目する。

ウェイル→スノートと続く確率は高い(45%)一方、スノート→ウェイルは低い(6%)、など大きな偏りがある。もしランダムならこうしたバラつきは生じないはずだ。
統語の存在は、ホシムクドリなどの鳥(話題のシジュウカラもその一種か)から、クジラやコウモリまで、多くの動物で実証されている。ただし、それがすなわち「言語の存在」を意味するわけではないのは注意しよう。
ハイラックスにしても、こうした複雑な後天的統語によって、何も環境問題や株式市場といった複雑な事象について話しているわけではなく、歌の役割も内容も(自分の存在をアピールするとかメスを惹きつけるとか)単純である。ただ、それを伝えるやり方が複雑なのだ。
歌の「複雑性」はある個体がどれだけ強くて健康かを示す指標であり、ハイラックスの歌もその意味でクジャクの羽に近い。だがその統語が進化の上で、言語の礎を築いたのかもしれない、と著者は語る。
言語は化石に残らないので、どのような「進化」を遂げたか厳密に知ることは難しいが、動物たちの「統語」はヒントを与えてくれる。
統語は動物のコミュニケーションにとって普遍的かつ基礎をなすもので、動物の脳は語順を区別することができる。ただし、語順で意味が大きく変わることは少ないし、違いが意味をもつ必要もない。
個体の利益に大事なのは「違いがわかる」こと、つまり統語の理解があること。良い歌とダメな歌を区別できる能力を、ヒトの祖先も高度化させていき、メッセージはより明瞭、正確、具体的になり、フレーズに潜むパターンを理解する脳をもつことが有利になり、ついにヒトの真の言語能力に進化を遂げたのかもしれない、という。
「ハイラックスは奇妙な動物で、生きた化石でもなんでもないが、動物界において統語が普遍的であり、太古の昔から存在したであろうことを教えてくれた。それより何より、草もまともに消化できないこの小動物は、統語を利用してコミュニケーションをおこない、複雑さを利用してメッセージを伝える。こうしたメッセージは、千差万別な動物たちの間でこれまでも、おそらくは動物が音を出すようになって以来、ずっとやりとりされてきた。僕たちの祖先はただ、こうした能力を転用しただけなのだ。」
他の動物の「言語」(たとえ厳密な意味での「言語」でなくても)は、人の言語能力を解き明かす鍵になるとわかる。昨年のベスト本にあげた『動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか 人間には感知できない驚異の環世界』同様、動物について学ぶことの魅力が詰まった一冊だと思う。
新年早々、すてきな動物本に巡り会えて幸先がいいことだ(表紙もイイね)
ーーーおわりーーー
…余談ですが、思うところあってブログのgoogle広告を停止したので(若干ヤな広告が目立つようになったので…)、なにかしら代替をゆるめに模索してます。まぁ元からそんなに収益化とか目指してもないとはいえ…
とりあえず、有料販売機能を使った投げ銭でもしばらく置いてみようかなと。
というわけで気が向いたら、投げ銭はこちら↓(ささやかなお礼イラストあり)