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『春はまた巡る デイヴィッド・ホックニー 芸術と人生とこれからを語る』感想

『春はまた巡る デイヴィッド・ホックニー 芸術と人生とこれからを語る』読み終えて、とてもよかったのでかんたんに感想まとめ。

www.seigensha.com

 

本書より、ホックニーの言葉

「私は描かずにはいられないのです。絵を描きたいとずっと思ってきました。小さいときからずっと、絵を描きたいと思っていました。それが、絵を描くのが私の仕事なんだと思いますし、60年以上もそれを続けてきました。まだそうしていますし、今でもまだおもしろいと思っています。世界は、ちゃんと見ればとても、とても美しいのに、ほとんどの人は、あまり真剣に見ようとはしないのです。そうじゃありませんか?でも、私は真剣に見ています」

 

こういう、万人に伝わりやすく明快で、しかし力強くハードコアでもある、ホックニーの言葉や考え方がたくさん載っていて、同じ絵を描くものとして…と言ってしまうと身の程知らずではあるが、とはいえまぁ物理的には(?)同じ絵を描くものとして、得るものが大きい本だった。

 

ホックニー、誰?って人にざっくり紹介すると(まぁ私もそこまで詳しくないが)、 1937年にイングランドで生まれた画家で、60年くらい活動しており、一番有名な現代美術家のひとりと言っていいんじゃないかと。

www.mot-art-museum.jp

2023年に東京都現代美術館で展覧会が開催されて大盛況になったりした。うっかり休日に行って(ギリギリに滑り込んだせい)超並ばされたけど、絵はほんと素敵だったな。

特にiPadで描いた巨大風景画シリーズが色んな意味で強烈で、適当なペイントソフトのデフォ設定(多分)ならではのデジタル的な粗さを全然隠さないのに豊かな生命力があって、私も今iPadで描いてるので、デジタル絵描きとしてもなんか色々言い訳つぶされるな〜とコワイようなやる気出るような気持ちになった。

私とホックニーの共通点、iPadで描いていること(以上)

ホックニー展で見たiPad絵画はこんな感じ

iPadによるデジタル作画であり、デジタルっぽさを誤魔化そうとも全くしていない(少し近寄ればデジタルで描いたな!ってすぐわかる感じ)が、制作姿勢の根本にはあくまで伝統的な、モネの時代と直結した絵画の精神が流れているっていう面白さ。それにより、(画材ではなく)その精神だけを抽出して人工的に再構成したみたいな、不思議な異物感と調和をもたらす。印象派の成し遂げた達成は作画デバイスの違いのような些細な変化で死ぬものではない、ということの力強い証明でもあるし。
開催が東京都現代美術館だったので、字義通りといっては変だが、まさに現代美術だったな

ホックニー展のある絵とか、ぱっと見は普通に印象派っぽい風景画なんだけど、ちょっと寄って植物をよく見たりすると「あっ、デジタル作画だ…」とすぐわかるようなタッチ。絵筆っぽいブラシとかすら使ってない、たぶんデフォルトのペン。「なんだ、よくみると雑じゃん」「素人みたい」と思う人もいるかも。

でも印象派が成し遂げたことって要するにこれなんだよね! 私たちが見ている世界を、ある意味デジタルに分解して捉え直して再構築したことで、絵における、というか視覚における「リアル」の法則を永久に書き換えてしまった。ホックニー、それを今度は文字通りデジタルでやってるっていう凄み。

 

『春はまた巡る』で、ホックニーがiPad作画についても語っていて興味深い。

"絵画の場合、私だったら2、3日かかるかもしれないが、iPadなら、だいたい一気に描き上げられる(もっとも、次の日にちょっと手直しすることはあるよ)。4日ほと前には、すぐそこにある小さな花壇のひとつを描いた。よく、自分で期限を決めるんだ。iPadで描いているから「1日でやってしまおう」、などとね。"

ホックニー(御年88歳)、60年に及ぶキャリアであらゆる画材を使ったあげく、iPadを駆使して絵を描きまくってるという事実だけでもスゴイんだが、私たちのようなデジタルお絵描きネイティブ世代(なんとなくアナログのアーティストに距離と引け目を感じている)も彼の作品や言葉から学ぶべきことは多いと思った。

キャンバスと絵筆をどこへでも持ち運べて、どれだけ描いても場所を取らず、トライアル&エラーもし放題、という意味では、今これ以上なく「絵を描くこと」のハードルが下がりまくってるわけで、ある意味こんなに恵まれた時代もないのだが、その真価を本当に私たちの世代は、80代のホックニーよりまともに受け止められているのだろうかっていう。

技術の発展は基本的に喜ぶべきことかもだけど、流れが急速すぎるせいで、絵をろくに描いたことのない人が、もう自分で描く必要なんてない、これからはAIだ!みたいに一足跳びでなっちゃうとしたら、もったいない話だよね。できあがったもの自体に真価があるわけじゃないんだけどね、ほんとは。

 

じゃあその真価はなんなのか、っていうところも、ホックニーが『春はまた巡る』で言葉を尽くしてくれている。

"姪が大きな月の写真を撮りたいと言っていたが、私は言ったんだ。
「いやいや、月は描かないとだめだよ、日の出と同じだ。写真は撮れない、だってあれが光源なんだから」とね。日の出も写真に撮ることはできない。カメラで写すには途中で光が強くなりすぎるし、撮りだければ色付きガラスを通して撮るしかない。だから描かなければならないんだ、私が雨を描いたようにね。"

実際ホックニーは雨も大好きで、雨粒が水面に当たって水飛沫と波紋を生む様をよく観察し、その「衝撃と波による自然のシステム」を(ipadで)描いた。

絵を描くことの真価を一言でいえば、世界の姿形やシステム、その美しさを味わい、本当の意味で理解するというプロセスにあるんじゃないかと。だからまぁ、美しい完成物だけパッと魔法で出せたとしても、それって芸術とは関係ないよね、ってことになる。 月や雨のような自然現象の本質が、写真で「正確」に撮ってもどうにもならなくて、「絵でしか捉えられない」というホックニーの視点は面白いし、納得感もある。

 

『春はまた巡る』で、ホックニーはブリューゲルの魅力を語っている。

「ブリューゲルの絵画の空間はほかの誰よりも優れている。たとえば、《聖パウロの回心》には驚くばかりだ。あの作品を見ていると、自分がアルプスのずっと下から登って頂上に向かっているような気分になる。私も同じようなことをしている気になった。ブリューゲルは、アルプスを越える旅の途中のすべての山をスケッチしたに違いない。」

その流れで、ホックニーが好きだという別のブリューゲルの絵『雪中の東方三博士の礼拝』(1563)も語っていて、いい絵だなあと思った。雪景色が得意だったブリューゲルの中でも最初期に位置する作品のようだが、雪への解像度の高さを感じるし、ホックニーが自然現象について語っていた、「絵でしか捉えられないもの」を見事に見出していると思った。

iPadで描いてる私たちが、500年前の絵から得るものもたくさんあるってのは素敵なことだね。

『春はまた巡る』読んで、私も早くルーブル美術館の徒歩10分圏内に住み、巨大な美術館を迷宮探索のごとくさまよい、フランス素猫の展覧会のいい感じの窓と幾何学式庭園に啓示(エピファニー)を受けて「こいつはすてきだ、すてきだぞ!」と思いながら《フランス風コントルジュールーー逆光ダン・ル・スティル・フランセーズ》描いちゃったよ〜みたいな感じの人生を送りたいと思った。

まずは天才芸術家になる必要があるが、なんとかなるだろう。

みんなも『春はまた巡る』読んで天才芸術家になり、最高の人生を送ろう(雑なオススメ)

『春はまた巡る』が良かったので同じ座組(ホックニー/ゲイフォード)の『絵画の歴史 洞窟壁画からiPadまで』も買ってしもうたわ。

普通こういうのは紙で読みたい気もするが、これはまぁ、そんないうなら(?)、iPadで読むか…と電子で買うのだった。読みますね(ただ今ゴンブリッチの名著『美術の物語』再読中なので、それ終わったらね)

 

2026年の抱負は「デイヴィッド・ホックニー」とし(個人名を抱負に…?)、とにかくSNSをやめるなり減らし、自然や世界や歴史と向き合い、絵など遊(すさ)びたまふ、みたいな暮らしを送りたいので、よろホックニー

(言うだけ言っておこう 抱負は口にしないと かなわないから…)

 

ホックニーへの道も一歩からということで、ホックニーに触発されてさっきiPadで描いた絵でもみてって↓ (シチリア行った時の写真を参考にして描いた)

タイトルは…「遠くからの友達」🐻




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